暮露暮露団
「ぼろぼろとん」には『徒然草』と暮露(梵論師・普化僧)に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、綿の飛び出た蒲団[ふとん]の妖怪として「ぼろぼろとん」を描いています。蒲団そのものが妖怪になったすがたのデザインで、蒲団の布には格子状の模様が入っていますが、ところどころが破れて、中身が出てしまってもいます。眉の線も、糸の縫い目があしらわれています。
垂れさがり気味の両腕も、綿か布の質感で描かれており、蒲団の妖怪である特徴をシッカリ活かしたデザインになっています。
画面の右や左に1本ずつ、散らばっているものは火箸[ひばし]のようで、似た形状のものは「なりがま」の足元にも散らばっています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている布の画像妖怪たちをリデザインしたものだと見られます。
『百鬼夜行絵巻』には、布をかぶって顔や手足を出している横顔の妖怪がいますが、主となる画像要素はそれから採られているものだと見られます。しかし、全体を完全に蒲団に仕立てているデザインは石燕独自の手であって、ある意味では布の妖怪の画像要素を素材にして、完全に別物の「蒲団の妖怪」として仕上げた、あらたな画像妖怪が「ぼろぼろとん」だと言えます。
「にゅうばちぼう・ひょうたんこぞう」で用いられていた『徒然草』の18段には、もらった「ひさご」を音がうるさいと言って捨ててしまった許由[きょゆう]のはなしと共に、冬になっても藁[わら]一束しか使わずに暮らしてた、孫晨[そんしん]というひとが「冬の月に衾[ふすま]なくて」と記載されており、兼好法師あこがれの「いみじい」生活として出て来ます。
この孫晨の故事も、お勉強のためによく読まれていた『蒙求』に「孫晨藁席」[そんしんこうせき]という題で掲載されていたので、よく知られていました。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
まさしく呼び名にも「ぼろぼろ」があぐらをかいている「ぼろぼろとん」は自身の体がぼろぼろで、これ以上ない仕上がりになっています。周囲の大道具も破れ荒れて崩れ倒れています。
『書言字考節用集』(巻8・言辞門)には、「ぼろぼろ」に「暮露暮露」の当て字を載せていて、石燕はそのまま登用していると言えます。
おなじ巻には、「にょこにょこ」[如鼓々々]や「きょろきょろ」[驚労々々]や「がらがら」[瓦落々々]をはじめ、擬音擬声に関することばの当て字はかなり載っており、「ぶらぶら」の用字とも共通点があります。
▼暮露暮露団
「ははきがみ」とは「半野外のもの」あるいは「あたためるもの」の対として描かれていると見えます。当初から一対のものとして描かれたものなのかどうかなのについては、やや弱い箇所のある組み合わせではありますが、填詞[かきいれ]も含めれば、その要素はハッキリと出て来てはいます。
蒲団は本来は屋内で使われるものですが、戸外で寝起きする者にとっては野外で用いられます。
▼普化[ふけ]禅宗を虚無僧[こむそう]と言ふ
普化禅宗(普化宗)の僧侶「虚無僧」たちのこと。半僧半俗の存在でもあります。
▼虚無空じゃくをむねとして
虚無空寂[きょむくうじゃく]を旨として。――これも「虚無僧」たちの主義のこと。
▼いたるところに薦[こも]むしろに座してもたれりとするゆへ薦僧[こもそう]とも言ふよし
虚無僧たちは、路上をはじめとして色んなところに「薦蓆」[こもむしろ]を敷いて坐ったりしているので、「薦僧」
[こもそう]とも呼ぶんだよ――ということ。
よく用いられていた「こむそう」と「こもそう」の語源についてのはなしを出しつつ、地面に敷く薦蓆[こもむしろ]や藁蓆[わらむしろ]を出すことで、『徒然草』18段の孫晨のことを「ぼろぼろとん」の構成に使っていたことを、受け手にも垣間見させることが出来ます。
「ぼろぼろとん」の填詞には最大限に虚無僧たちのはなしが出て来るものの、「ぼろぼろとん」のデザインに虚無僧の要素がまったく介在してこないことも、ここで重要なのは「こもむしろ」である点――をあわせて考えると理解が進むと思います。
▼職人づくし歌合に暮露々々[ぼろぼろ]ともよめれば
「虚無僧」たちに「ぼろぼろ」(暮露・梵論師)という異名もあることを示しています。
『職人づくし歌合』は色々な職業を題材に詠んだ歌集。唐傘[からかさ]を持った「暮露」たちは足利代に描かれた『七十一番職人歌合』に歌と絵が見られます。
▼かの世捨人の きふるせる ぼろぶとんにや
「ぼろぼろ」というのは虚無僧や梵論師たちのことでもあるし、それに似た「ぼろぼろとん」という画像妖怪も世捨て人の持っていたぼろぼろになった蒲団の妖怪なのかも知れないネ――と石燕はおどけています。
虚無僧や梵論師たちのことを示す「ぼろぼろ」を「あるもの」として提示しつつ、「ぼろぼろ」な世捨て人の蒲団の妖怪だ――と「語呂合わせ」を主とした対比をしているわけですが、音としての「語呂合わせ」ダケを用いる手法は「ごとくねこ」や「やまおろし」などでも使われるパターンではありますので、下巻にも見られる石燕による「おもしろがらせ方」の傾向ではあります。
up.2026.06.02
■暮露暮露団
――石燕の手による画像妖怪
▼布の妖怪…他にも布をすっぽりかぶって、手や足のみが見えている妖怪たちが大小複数見られるぞ。これらの画像要素についても、複合して「ぼろぼろとん」に入っているであろうことは言わぬまでもないことぢゃ
▼ひさご…ひょうたんの中身をぬいて、水をいれる容器や水をすくう道具に仕上げたもの。和と漢とを問わず、古代から使われてきたものぢゃ
▼許由…世を捨てて、箕山という深い山奥でずっと暮らしつづけた隠者ぢゃ
▼孫晨…『詩経』や『書経』の勉強に明るかった人物。藁で眠っていたというのは役人になる以前の若い頃のはなしで、生家は蓆[むしろ]づくりを稼業にしている貧しい暮らしだったそうぢゃ。
▼衾…夜具として使われていた大きい着物状の布。現代で言う「かけぶとん」は大体こちらぢゃ
▼衾なし…『蒙求』の原文では「冬月無被」で「被」を「ふすま」の意味として教えるよみかたが用いられて来ていたので、孫晨の藁でしかないおふとんは大体「ふすま」と表現されているぞ
▼孫晨藁席…◆平川伸『箋註蒙求校本字引』曰「孫晨は座臥に書をはなさず藁一束を置[おき]て是[これ]に寝たり」
▼普化禅宗…普化宗のただしい呼び方。普化朗庵(良庵)によって開かれたと伝わる。虚無僧たちはここに所属していた者たちなのぢゃ
▼虚無僧…普化僧。顔を覆うことの出来る大きな笠をかぶって、尺八を演奏しながら廻国修行することにつとめていた僧侶たち。お芝居では隠密などがすがたを隠して旅をするときなどにも、よくこの格好に変装をするぞ。これは楠正勝[くすのきまさかつ](楠正成の孫)が南朝再興のために「虚無」と号する僧侶のすがたとなって各地を廻ったとする俗説に依存している要素も強いぞ
▼こもそう…◆『博物筌』曰「釈朗庵 一休と常に尺八を吹[ふく]みずから風穴道者と称す いたるところ こもむしろに座す 依てこも僧といふ」
▼虚無僧の要素…コチラはむしろ「ちょくぼろん」たちに最大限に用いられているということが言えるぞ。その分「ぼろぼろとん」にはまったく虚無僧の特徴が入れられていないということも明確ぢゃ。
▼職人歌合…◆『七十一番職人歌合』(46・暮露)曰「法の月ひろくすましてむさし野におきゐる暮露の草の床かな」
▼梵論師…ぼろんじ・ぼろぼろ。梵論字とも。これらは「虚無僧」と同体だともされるが、大道に暮らしていた半僧半俗の存在たち全体に寄せられていた呼び名でもあり、のちの時代の明確に寺に所属をしている虚無僧たちとは異なり、混雑してもいるのぢゃ
▼世捨て人…『徒然草』18段に登場する「許由/孫晨」は、厳密にいえば許由のほうダケが世捨て人=隠者なのだが、『徒然草』の文章のなかではドチラもおなじような「いみじき」生活および「かしこき人の富めるはまれなり」という事例として並列されており、区別なく「世捨て人」と見られていたとしても違和感は特にないぞ