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がいこつ

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

がいこつ

骸骨

「がいこつ」には、慶運法師の和歌についての内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■色即是空な骨の身の上

石燕は、生きている人間のように動き出した何も身につけていない真っ白な「がいこつ」を描いています。土中にある大きな黒い甕[かめ]のようなものから「がいこつ」はニュッとすがたをあらわしています。

柳[やなぎ]の木や草は、激しく荒れる雨風に揺られている様子が、墨線とねずみ色の版を効果的に使って描かれています。

■骸骨たちがぞろぞろと

『一休骸骨』や、『骸骨』、『幻中草打画』などをはじめとして、「がいこつ」たちが動き出して人間そのままのいとなみをしはじめる「絵」は、古くからたくさん描かれており、17世紀ごろからは版本としても摺られて、よく見聞きされていました。

これらの「絵」のなかでは、生きている人間たちのように色や酒をたのしむ「がいこつ」たちはモチロン、病にかかって臥せってしまう「がいこつ」や、そのまま死んで葬られる「がいこつ」たちの様子までもが描かれていたりします。

▼骸骨
「がいこつ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「ぶるぶる」とは「おそろしいもの」つながりで対になっているようです。

骸骨の妖怪は「ほねおんな」でも描かれていますが、鼻のくぼみの部分は「がいこつ」のほうがチョット大きめに描かれています。

▼慶運[けいうん]法師 骸骨[がいこつ]の絵讃[ゑさん]に
慶運は、二条為世[にじょうのためよ](1250-1338)に和歌を習い、歌人としても名前の広く知られていた僧侶で、兼好法師などともおなじ時代にいた人間。

▼かへし見よ をのが心は なに物ぞ 色を見 声をきくにつけても
慶運法師は「がいこつ」の描かれた絵に「生死をはなれんとおもふ心は何者ぞ ただ心の源をかへり見るべし もし明らむることを得ば 曠劫の無明 たちまちに消滅し 本来の面目 すなはち現前せん」――としたためた上で、それにつづけて、この和歌を書いたと語られます。

「骸骨の絵の讃」のことについては、宝井其角『類柑子』(1707)などにも詳しく載っており、そこでは「骸骨」の絵のはなしをしたあと、其角が子供のころに松葉でつくった兵[つわもの]たちを息で吹いて遊んだ思い出も「無心の松葉ながら人の息をしてはたらかすれば有心有情のものと見る」として共に記しています。

石燕の「絵」には、風は吹き荒んでいるものの、其角の思い出と関連してくるような松の木は出て来ません。慶運法師の和歌は、単に「骸骨の絵」ということからの連想で、「絵」が完成したあとに填詞[かきいれ]に添えて書いたものだと言えます。


up.2026.07.15

■骸骨…和漢三才図会、書言字考節用集




▼ねずみ色の版…「じゃみ」の背景の描き方とも似ているが、コチラでは墨の線も入っているぞ
▼幻中草打画…絵巻物として描かれた作品。旅人が堂宇の裏にたくさん打ち捨てられていた骸骨たちの話を聴くという導入部があるのぢゃ。「康暦二年五月」という記載があるので、それを信用すれば1380年には原型となったものがあったということになるぞ


▼骸骨の絵の讃…和歌そのものは徳川光圀『扶桑拾葉集』におさめられていることでもよく知られるのぢゃ。和歌のまえに書かいたとされる讃については宝井其角の文にあるものと、『扶桑拾葉集』にあるものとでは、主意は同様なものの、文言がところどころ異なる。
▼曠劫の無明…無始無明のこと
▼有情のもの…人間のようなこころのある生き物