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おおかぶろ

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

おおかぶろ

大禿

「おおかぶろ」には、彭祖[ほうそ]についての内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■身の丈が成長しすぎて大きすぎる

石燕は、立ててある屏風[びょうぶ]より大きく、ものすごく背が高くなった禿[かぶろ・かむろ]の妖怪として「おおかぶろ」を描いています。手には紙の貼ってある手燭を持ち、髪型は結わずに切り揃えたダケの切禿[きりかぶろ]で、着物には禿菊[かむろぎく]の模様が描き込まれています。

帯をうしろで結んでいるのが「かぶろ」としての最大の特徴でもあるようです。

屏風の絵には、雁[かり]が特徴ある飛び方で描かれており、画題としてもよく知られた瀟湘八景のうちの「平沙落雁」らしさがうかがえます。

■かぶろが化けておどろくこと

『蜘蛛糸梓弦』(1765)『稚結蜘蛛線』(1772)をはじめとして「つちぐも」が出て来るお芝居には、頼光の館にやってくる妖怪のなかに切禿[きりかぶろ]のかたちのものも出て来ますので、そういった妖怪が化けて出て来ている「かぶろ」が、画像妖怪の仲間内に数えられることは一般的だったと見えます。

基本的には、そのような存在を独自に切り出して持って来たのが、石燕の「おおかぶろ」であると考えるのが、画像要素としてはいちばんわかりやすい経路だとは言えます。

背が大きい「かぶろ」という存在自体が現実にお座敷に出て来たらびっくりするような存在なので、特に小細工もいらず、見たままで理解は出来る画像妖怪ではあります。

同様に、この種のお芝居には奥州座頭・仙台座頭も定番の化けて出て来るものとして登場しており、「おおざとう」とも繋がって来る画像要素を持っています。

■大きく育てる禿菊

嬋娟で「すじ」が良く、上玉な禿は、売れっ子な花魁[おいらん]のたまごとして育てる「引込禿」として、店の「内所の者」に入れて源氏名はつけず、キチンとおかねをかけて琴棋書画の修行などをさせられました。

また、「男禿」と称して綺麗な男のコを、禿のこしらえをさせて座敷や行列などに出したりしていた時期もむかしむかしはあったようですが、コレは廓[くるわ]が紋日[もんび]などで賑やかなとき、数合わせの増員のために一時的な契約でやとわれて来る子供たちとおなじようなもので、単に「かぶろ」として働くことのみが主眼であって、期間が済んだり、育ってしまえば店を出てゆくのが普通でした。

▼大禿
「おおかぶろ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「てんじょうくだり」とは好色つながりのもの同士として一対になっていると見られます。また「うえから下がるもの/せたけの上がるもの」という上下の対比もあるのかとは考えられます。

▼伝へ聞 彭祖[ほうそ]は七百余歳にして
彭祖[ほうそ]は長寿なことで古くから有名だった仙人。

▼猶 慈童[じどう]と称す
慈童[じどう]は「菊慈童」[きくじどう]とも称される存在で、こちらも能『菊慈童』(枕慈童)でよく知られ、長寿で有名です。「慈童」がのちに「彭祖」になったという展開は『太平記』で展開されている古註空間な設定です。

『太平記』(巻13)には、慈童は、穆王[ぼくおう]に寵愛されていましたが王様の留守中に、王様の枕を飛び越えたことが問題になり、「てっけん」という暗黒な地の山奥に流罪にされてしまいました。しかし、その地で菊[きく]の露を飲んで、少年のすがたのまま仙人になって「彭祖」となり、菊が長寿につながることが9月の重陽の節供のはじまりになったとされます。

『太平記抄』(巻13)の解説には「慈童 此人未だ本拠をしらず」――とあるように、基本的には「彭祖」の側に「慈童」のおはなしは存在して来ていません。

石燕は、填詞[かきいれ]のなかで「彭祖」の名前を最初に出していますが、その内容は「菊慈童」の設定に拠っていることがわかります。まず最初に「禿菊」からの連想で「菊慈童」が浮かんで来て、それにともなって「彭祖」は引っぱっられて来たと言えます。

▼是 大禿[おほかぶろ]にあらずや
何百年もずっと少年のままのすがただった「菊慈童」も、子供のすがたのままの「おおかぶろ」に近いものだと言えるかも知れない――と石燕は述べています。

ここは「おおかぶろ」という妖怪が別箇に存在しており、それと「菊慈童」を対比しているという前提ありきで考えることが重要です。これは、つづく那智・高野の竜陽な僧侶についても同様です。

▼日本にても那智[なち]高野[かうや]には
「高野六十那智八十」という俗語を引いて来たもの。

▼頭[かうべ]禿[かぶろ]に歯[は]豁[あばら]なる大禿ありと云
「慈童」のような少年のままのすがたとは逆に、頭がはげてしまい、歯もぼろぼろな老体のこと。

韓愈[かんゆ]の「進学解」にある「頭童歯豁」(頭ははげ 歯はゆるみて)ということばが基盤となっている言い回しで、『百物語評判』(巻5)の「此草子の外題の事」の文章のなかにも「誠に昌黎の云へるごとく頭[かしら]かぶろに歯あばらばなるまでさせることなく」――とあるように、単に「年の寄ったこと」を示す文章にも用いられる汎用な表現でした。

コチラも、また子供にしては大きすぎる「おおかぶろ」に近いものだと言えるかも知れない――と石燕は述べています。

▼しからば男禿[おとこかぶろ]ならんか
「菊」や「禿」と関連が引っぱり出せる「おおかぶろ」に似てるかも知れない存在たちは、男であることが多いので、吉原にいる「かぶろ」とは言っても、「男禿」なのかも知れないネ――と突拍子もなくおどけて結論づけることで、さらにおもしろみを出していると言えます。

それは対比先として、「おおかぶろ」が女のコだという前提があって、「落差」が存在しないと効いて来ない「おもしろさ」でもあります。

石燕の「おおかぶろ」よりもすこしあとに、蜀山人・喜多川歌麿の創った黄表紙『源平総勘定』(1783)でも「二位のあまは やりてとなり あんとくはおとこかぶろとなり むざんや しゃくきんのふちへしづみ給ふ」――と、「壇の浦」ならぬ「借金の淵」に身を沈めたという設定で、安徳天皇が男禿に仕立てられてしまう「落差」による諧謔が出て来ます。ここで描かれている「かぶろ」の髪型はもう古風な「切禿」ではありません。

また、男禿については秀山人『柳花通誌』(1844)に「また昔は 若衆禿とて男の子の美しきを連[つれ]たる事ありしが今その形 廓[くるわ]に絶たり」――と見えて、19世紀に入るとその存在自体が既に江戸でも年寄り連中しか覚えていない「むかしのもの」に属していることであることが、填詞[かきいれ]にこの単語を織り交ぜているおもしろさのポイントなのかと言えます。


up.2026.07.16

■大禿




▼禿…かぶろ・かむろは「吉原」の妓楼で雑用仕事などで働く12歳ぐらいまでの小さい女のコたち。座敷などで太夫[たゆう]・花魁[おいらん]の側に控えていて、身の回りの世話をしたり、嫖客に水を出したりするぞ
▼髪型…「切禿」の他にも、おけしの部分以外を剃ってる「芥子禿」、唐子のように剃ったり、ほぼまるごと剃ってある「坊主禿」などの髪型のかぶろ・かむろたちもいたぞ。しかし、鳥居清長や喜多川歌麿・歌川豊国の錦絵や版本などをみても、花魁といっしょに必ず出て来る一対の禿たちも髷や簪[かんざし]で飾るこしらえのほうがだんだんと増えていったぞ
▼平沙落雁…近江八景であれば「堅田落雁」ぢゃ
▼稚結蜘蛛線…初演のとき(1772)の常磐津正本の表紙絵には、お茶を運んで来るときの格好の「土蜘[つちぐも]の変化・切かぶろ」と卜部季武・碓井貞光の絵が描かれているぞ。ここでは「かぶろ」の着物の模様は「宝づくし」ぢゃ
▼引込禿…万象亭『画本纂怪興』(1791)でも「ほみこみかぶろ」の呼び名で画像妖怪として仕立てられているのぢゃ。 ◆万象亭『画本纂怪興』(引込禿)曰「かぶろ菊の性[せい]すくすくと塔[とう]に立 ずっしと立ったる其ありさま 姉女郎の目にはいとおそろしかるべし」 ◆『北里見聞録』(巻3「禿の事」)曰「引込禿といふ有 是は禿の内にて年頃十四五歳以上にて名目かたちすぐれ全盛近きを云 是等は姉女郎の手を放れて傾城屋の亭主女房などの傍に有て総じて諸芸をならはしむる 故に引込の名あり 然れども若[もし]客来て好む時は客へも出す事也 禿の名ある故に後帯にして 名なども常の女のごとく おの字を付て呼び 源氏名を呼事なし 斯諸芸など仕込置て後 突出しとて見世へ出して客を迎る也」
▼内所…ごないしょ。店のうちの、主人たちが暮らしているところのことぢゃ



▼てっけん…「虎狼悪獣」がたくさんうろうろしているとされるのぢゃ。古いかたちの能『枕慈童』では「てっけん」だが、修訂されていったあとの能『菊慈童』では「れっけん」としており、「虎狼野干」たちの群れがいるとされているぞ
▼菊の露…穆王の与えた経文を忘れないように葉っぱに書いておいたところ、その葉っぱに生じた露が、谷の水に混ざった霊水になったとされるのぢゃ。◆『参考太平記』(巻13)曰「菊の葉における下露 僅に落ちて流るる谷の水に滴りけるが 其水皆天の霊薬となる」◆能『菊慈童』曰「具一切功徳慈眼視衆生 福聚海無量是故応頂礼 この妙文を菊の葉に置く滴りや露の身の 不老不死の薬となって七百歳を送りぬる」
▼重陽…9月9日のこと。菊の節供ぢゃ
▼彭祖の側に…モトモト本来の「彭祖」と良く結びつけられていたのは『神仙伝』などにあるように「肉桂」(桂芝・木桂・水桂)ぢゃ
▼竜陽…男色のことぢゃ
▼高野六十那智八十…俗に竜陽の習俗に結びつけられているが、モトモトはそれぞれの産地の和紙についてを述べた数詞だったという語源説も古くからあるぞ。◆『色道禁秘抄』曰「昔 高野の麓[ふもと]紙谷より漉き出す紙数六十 那智の麓の小塚村より出す紙は八十枚あるを称へしに 男色家 自分勝手に竜陽の事に間違へたるは笑ふ可し」
▼昌黎…韓愈のことぢゃ
▼年の寄ったこと…◆横井也友『鶉衣』(寿光先生伝)曰「しら髪両鬢に垂れ 笑へば歯あばらとなれり」◆吉岡信行 『求化微糧談』曰「頭へ白く歯あばらに成ても慚愧の心起らず」