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らじょうもんのおに

鳥山石燕百石乳|今昔百鬼拾遺

らじょうもんのおに

羅城門鬼・羅生門

「らじょうもんのおに」には、都良香[みやこのよしか]のはなしに即した填詞[かきいれ]が添えられています。目録では「羅生門」と書かれており、表記が異なりますが、意味としてはおなじものをさしているので特に問題はありません。

まえへつぎへ

■都の南門にふしぎあり

石燕は、ぐるぐるとうずまく黒雲と共に、巨大な図体の「おに」(茨木童子)のすがたで「らじょうもんのおに」を描いています。布で出来ている腰巻は、荒縄のようなもので腰に締められています。

見出しからも、舞台設定が能『羅生門』で知られる羅城門(羅生門)であることはうかがえ、門の大きな柱と、石段・石畳が大道具として描き込まれています。

■茨木童子

石燕は、填詞[かきいれ]では都良香のはなしをメインにしていますが、うずまく黒雲の描写などなら、「絵」としては、武者絵でよく描かれて来ている渡辺綱[わたなべのつな]が鬼(茨木童子)退治に来た場面を描いていることがわかります。

大きな鬼のすがたに変わった鬼は腕を突き出して渡辺綱の兜[かぶと]を背後からつかみ、持ち上げようとして来るのが定番の展開ですが、石燕は人間を画面内に描かないことが多いので、「らじょうもんのおに」は小手をかざして、にらみつけているような姿勢で描かれています。

続百鬼で描いている「てんじょうくだり」の填詞では「茨木童子」の名前を出していますが、コチラではその名前はあつかわれておらず、アンバランスさも感じられます。

■相応すべき対句

鬼神を感動させるほどの詩をつくったとする都良香のはなしは、『十訓抄』(巻10)などにあるものがよく知られていて、『和漢朗詠集』での都良香の漢詩に対する古註が起点となって形成されていったと見られています。

それらの説話では、良香が夜道を歩いていて景観から思いついた「気霽風梳新柳風」という句に鬼が感心し、対応させるべき対句「氷消波洗旧苔鬚」を鬼がつづけてくれたとあります。

いっぽう、『江談抄』などでは、鬼が感動して「阿波礼 阿波礼」と褒めたというダケで、鬼が対句をつつづけたという構成にはなっていません。『絵本故事談』(巻1)でも、羅城門のはなしは「気霽風梳新柳風 氷消波洗旧苔鬚」を、ぜんぶ良香が吟じていて、それを耳にした鬼が門の上から「特[こと]に妙なり」――と褒めことばを掛けたとあります。

■朱雀門の鬼

漢詩に感動したのは「朱雀門の鬼」だともされ、『本朝神仙伝』や『撰集抄』(巻8)などでは都良香の通りかかるの舞台が「朱雀門」になっています。

退治される展開ではなく、風流ごころのある展開になるはなしでは「朱雀門の鬼」との混同が多く見られ、『今昔物語集』の「玄象琵琶為鬼被取語」(巻24)にあるはなしでは、鬼が奪っていった玄象の琵琶を弾いていたのも「羅城門」のうえだったとあります。

羅城門・羅生門に「特定の鬼」がいるというより、羅城門・朱雀門ドチラも、鬼たちがすがたを現わす場所として登場することが実に多かった場所だということも知れます。

▼羅城門鬼・羅生門
「らじょうもんのおに」は、見ひらきにいっしょに描かれている「よなきのいし」とは、親しまれて良く知られている妖怪として並べられているようです。

▼都良香[とりゃうかう] らぜうもんを過て一句を吟じて曰[いはく]気霽風梳新柳風 と
都良香が漢詩を詠んでいたら、下の句を羅城門(羅生門)のうえから鬼がつづけてつくったという設定のはなしを下敷きに、石燕は填詞[かきいれ]を添えています。

「絵」の情況とは無関係な内容であることは非常に良くわかる記述で、填詞[かきいれ]が「絵」と密接に相互関係にあるわけではないという構図がキチンとわかる例でもあります。

▼その時 鬼神[きじん]一句つぎていはく 氷消波洗旧苔鬚 と
鬼が下の句を詠みついだというはなしは、よく知られていますが、先述したように「羅城門」ではなく「朱雀門」でのことだとしている場合もあり、はなしごとに設定が変わって来たりもします。

「羅生門」と「羅城門」、両方の表記を石燕が使っていることからも、いろいろな設定のはなしが物語・説話・戯曲のなかでバラバラに存在していること、作品それぞれによって門の表記も異なって来ることを、石燕もそれなりにわかっていたであろう点は、うっすらうかがえます。

▼後[のち]渡辺綱[わたなべのつな]がために腕をきられ からきめ見たるもこの鬼神にや
能『羅生門』では、腕を切り落とされてしまった鬼は、黒雲に消えて「時節を待ちて又取るべし」と声をあげながら去って行き、そこまでで幕になります。

鬼が出るという噂を聞きつけた渡辺綱は、四天王を代表して鬼が出るという現場に出向いて、その片腕を切り落として帰った――というのもよく知られるはなしですが、この現場とされる場所は「羅生門」であったり「戻り橋」であったりして、実は作品ごとにバラバラです。

『平家物語』の「剣巻」や『前太平記』などでは、「戻り橋」に出るという鬼を退治しに行って、腕を切り落として帰って来て、腕を取り戻そうと、渡辺綱の伯母上(育ての親)に化けてやって来る――という展開になっています。この舞台が「羅生門」(羅城門)に変更されていったのは、主に能『羅生門』の影響が大きいと良く言われています。


up.2026.08.08

■羅城門鬼
■羅生門…(能)羅生門




▼都良香(834-879)漢詩の名人として知られる人物。菅原道真の師匠としても知られる。「気霽風梳新柳風…」の漢詩は『和漢朗詠集』におさめられてるぞ。説話のなかではしばしば道真に負けてしまう側の位置づけになっており、最終的に菅原道真の実力を感じて、のちに官位を棄てて山に入り、仙人になったとも語られているのぢゃ。◆『絵本故事談』(巻1)曰「官を棄[すて]山に入[いり]終所を知らず 後[のち]百余歳にして大峰の山窟にて見る者あり 顔色[がんしょく]衰[おとろへ]ずといへり」
▼羅生門…能『羅生門』では「羅生門」と統一されているのぢゃ。◆能『羅生門』曰「この頃 不思議なる事を申し候 九条の羅生門に鬼神[きじん]の住んで 暮るれば人の通らぬ由[よし]を申し候」
▼渡辺綱…源頼光[みなもとのよりみつ]に仕える四天王のひとりで、強い武士として知られるのぢゃ。「てんじょうくだり」の填詞でも言及されているぞ
▼古註…『和漢朗詠集私注』の「気霽風梳新柳風…」の註では下の句を「羅城門」の鬼がつけたと記載しているのぢゃ
▼感動…鬼を感動させるということは『古今和歌集』の序に「目に見えぬ鬼神をもあはれとおもはせ」とあるように、詩歌のちからとしては最強の褒詞のひとつなのぢゃ
▼鬼がつづけてくれた…『十訓抄』では、はなしの最後にこの対句を都良香が披露したところ、菅原道真は「下句の鬼のことばなり」と発して、鬼がつくったものであることを見抜いたという展開にもなっているのぢゃ。『北野天神縁起』の類では、このように道真が見破るというところまでを含んでいて、良香・道真の競争のひとつになっているぞ
▼絵本故事談…下の句をつづけてつくるはなしは『絵本故事談』の場合は竹生島で「三千世界眼中尽」という句を詠んでつづきを按じていたら、神さまが「十二因縁心裏空」とつづけたという展開に用いられているのぢゃ。逆にこれは『江談抄』にあり、竹生島の「弁財天」が感動してつづきをつくったと記載されているぞ
▼玄象…内裏におさめられていた琵琶の名器のひとつ。「びわぼくぼく」も参照



▼羅城門…説話では「城」の字が用いられていることが多いぞ。平安京に実際に建っていたのも「羅城門」ぢゃ
▼羅生門…能『羅生門』などではコチラの表記が主に採られているぞ
▼腕…鬼が切られた腕を取り返しに来るはなしも、「剣巻」や『前太平記』をはじめとして広く展開されつづけているので、浄瑠璃や歌舞伎にもなって良く親しまれていたぞ
▼からきめ…つらいめ
▼伯母上…渡辺綱は、小さい頃に親を失っており伯母によって育てられたぞ。そのため、腕を取り戻すために鬼の化ける肉親も「伯母」になるというわけぢゃ