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てんじょうなめ

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

てんじょうなめ

天井嘗

「てんじょうなめ」には、『徒然草』を活用した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■家の天井は高いか低いか

石燕は、家のなかに出る妖怪として「てんじょうなめ」として描いています。天井に向かって生じている気の導線と共に、うえを見上げながら長い舌を出しています。

指や髪をはじめとした身体の各部品や、腰につけている衣服はすべて共通してこまかくひらひらしており、「はたき」か「付木」のようになっています。

部屋の柱には七宝[しっぽう]のかたちの「釘かくし」がつけられています。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている顔をうえに仰向けて舌をぺろりと出している妖怪の画像要素が用いられていることがわかります。

素材に用いた妖怪の「舌を出している」という画像要素から、『画図百鬼夜行』(1776)で先行して描いてもいる「あかなめ」の名称を「天井」に転用して、呼び名をつけたものと見られます。

天井をなめさせているのは、填詞[かきいれ]にあるように、『徒然草』の55段にある「天井の高きは」からの配合だという、わかりやすい手順が踏まれています。

■ぼろぼろさがわかりやすい天井

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

この絵では、下にある板も上にある天井も、ドチラも共にぼろぼろになっている様子が描かれており、草がぼうぼうとはびこっている様子からも、ぼろぼろな屋内の様子が表現されています。

また、『徒然草』の10段には、家づくりや庭づくりについての文章があり、見ひらきで対として描かれている「ころうか」との共通発想は、そこを起点にしていると見られます。
10段の文章にも「家居のつきづきしくあらまほしきこそ かりのやどりとはおもへど興あるものなれ」や「おほくのたくみの心をつくして みがきたて」など家に関する批評がありますが、「家居にこそ ことざまはおしはからるれ」とまとめていて、いろんな家があるがその造りから人柄もうかがえる――とも兼好法師は観察しています。


▼天井嘗
ころうか」とは「庭のこと/家のこと」あるいは「明るい火/暗い灯火」の対の存在になっています。最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。

天井を題材にした妖怪には既に「てんじょうくだり」が存在しており、ことば遊びの要素はソチラのほうで消費してしまったためか、填詞[かきいれ]に関してはそこまで強めの戯文にはなっていない印象もあります。

▼天井の高[たかき]は灯[ともしび]くらうして冬さむし
『徒然草』の55段にある「天井の高きは冬さむく灯くらし」を引いたものです。

55段で説かれている家づくりの条件は――、夏の暑さに対処することは困難なので家を設計するときは「夏」に過ごしやすいことを優先するべきだ、庭の泉水は深いよりも浅くつくったほうが涼しさを感じられる、明かりを採るのは蔀[しとみ]よりも遣戸[やりど]のほうが物が見やすい、天井は高いのは冬になると寒いし灯火も暗くなる、用のない部屋や場所があるがよい、といった内容で天井の高すぎることはよくない設計だと兼好法師は述べています。

高田宗賢『徒然草大全』(1677)にある55段の註(巻上4・五十五)でも「されども天井高きとてさのみ納涼のたよりなるべからねば 又ふゆもあしからぬやうにすべきとなり」と、天井の高すぎることは「夏」に過ごしやすさや、涼しさの機能のないことが強調されています。

▼家さくの故にもあらず まったく此怪のなすわざにて
家作[かさく]のせいで起こることではない、という意味です。家の灯火が暗かったり、家が冬に寒かったりするのは「天井が高いから」ではなくて「てんじょうなめ」のしわざなのかも知れないネ――と石燕はおどけているわけです。

「てんじょうなめ」の灯[ともしび]が暗いことは、そのまま庭木のしげったなかにある石灯篭の上で明るい火を噴き出してる「ころうか」とも対になって来るわけで、見ひらき同士で「庭/家」とが「明るい火/暗い灯火」でうまく溶明し合うかたちになります。

いっぽう、『百鬼夜行絵巻』の画像要素(出している舌)からつくりだした「天井をなめる」という動作や「てんじょうなめ」という呼び名は、『徒然草』の「天井高きは」とは連動しているものの、「灯くらうして冬さむし」とはそこまで連動していませんから、「あるもの」に対する「ないもの」は、あまり巧く完成していない側面もあります。

▼ぞっとする
天井は高いですし、ぼろぼろですし、石燕が「てんじょうなめ」を見たという設定のこの空間自体が寒いせいで、ぞっと震えもしやすいわけです。


up.2026.05.22

■天井嘗
――石燕の手による画像妖怪



▼気…「てんじょうなめ」と共に天井に向いている気は、点々で埋めつくす描き方で描写されているぞ。「おさこうぶり」と同じ描き方ぢゃ
▼はたき…ほこりを払うために、布か紙をこまかくひらひらさせたものを束ねて棒の先につけた道具ぢゃ
▼付木…起こした火をつけるためのもの。薄い板で、火がつきやすいように硫黄などが塗ってあることもあるぞ
▼百鬼夜行絵巻…顔を上に仰向けている妖怪の上には、鳥のようになって飛んでいる鳥兜の妖怪がいっしょに描かれているぞ
▼かりのやどり…仮寓。
▼おほくのたくみ…多数の腕の良い大工さんたち


▼天井の高き…結局、夏にも冬にも天井の高いことは役に立ってないようだぞ
▼蔀…格子状に編まれた戸で、むかしの宮殿はこれが四方に取りつけられていたぞ
▼遣戸…左右に引いて動かすことの出来る戸
▼家作…家のつくり
▼此怪のなすわざ…「てんじょうなめ」のしわざということになっているが、『徒然草』に「あること」を「天井」のせいではなく「てんじょうなめ」のせいぢゃと否定して遊ぶことで、たまたま「灯火が暗くなること」と「冬に寒くなること」を「てんじょうなめ」に背負わせたダケだぞ
▼巧く完成していない…「天井が高い」と「灯火が暗く冬に寒い」を否定して「てんじょうなめがいる」と「灯火が暗く冬に寒い」にしているダケなので、価値の落差などが起こっておらぬのぢゃ。「灯火が暗く冬に寒い」ということがもともと「よいもの」ではないため、落差を引き出すことが出来ないからなのぢゃろう