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やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう

鎗毛長
虎隠良
禅釜尚

「やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう」には、3体それぞれの道具に関連した戯文が填詞[かきいれ]として個別に添えられています。

まえへつぎへ

■ひと組ぞろいの妖怪たちでござる

石燕は、「やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう」をひと組の妖怪として描いています。

「やりけちょう」は槌[つち]を振り上げたかたちの毛鎗[けやり]の妖怪です。右側を向いている視線の先には茸[きのこ]の妖怪たちがたくさん地面から生えています。
毛槍は、大名ごとに色や持ち方の特徴があったりしますが、おもてだって実際の武家のものを描くことは出来ませんから、絵としては特定の毛槍は描いてはいないように見えます。

「こいんりょう」は熊手[くまで]を持ったかたちの印篭[いんろう]や巾着[きんちゃく]の妖怪です。頭ぜんたいが巾着、その頭のうえに印篭がのっているような奇抜なかたちで描かれています。

「ぜんふしょう」は鋭い爪を見せているかたちの茶釜[ちゃがま]の妖怪です。茶釜は坐禅につかわれる坐蒲[ざぶ]に似ているとも称される蒲団釜[ふとんがま]なかたちのようです。蓋を持ち上げて出ている湯気が髪の毛になっているような独特のデザインになっています。
「爪」は茶釜を炭にかけるときにのせる「五徳」[ごとく]に縁の深いものでもあります。形状によって笹爪・平爪・長爪・蝮爪・鬼爪など呼び名の多い道具です。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、この3体は『百鬼夜行絵巻』に描かれている「赤い妖怪」の左側に、いつも3体いっしょに並んで描かれている画像妖怪たちをリデザインしたものだと見られます。

石燕は、3体の姿勢と持物――槌[つち]と熊手[くまで]をおもな画像要素として用いていますが、それ以外は大幅に手を加えています。ですので、モトモト「獣形」や「鬼形」だった絵巻物での3体の「顔」のおもかげは、何ひとつ残っていません。このような大幅な変え方は他の絵でも常に石燕は行っており、大して違和感のあるものではありません。

■ぼろぼろしない山水のさび

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

ただし、この絵では戸外が舞台になっており、山水が配されているためぼろぼろさとは無関係になっています。画面の右手にはたくさんの茸[きのこ]たちが描かれており、顔のある茸も多くいて、この茸たちも立派に画像妖怪であることがわかります。ある意味では、茸がうじゃうじゃはびこっているような「手入れのされていない空間」という描写とは、取ることも出来るでしょう。

■仲よくしたい3人は

『徒然草』のなかでも有名なものに「よき友三つあり 一つには物くるる友 二つにはくすし 三つには智恵あるもの」――という117段の文章があります。「よく物をくれるひと」、「医書に通じているひと」、「智恵の深いひと」が友にいるとスバラシイという趣旨ですが、この3体も「大黒さまのもちもの」、「薬をなかにいれるもの」、「教養をいれるもの」が揃っているので、3種類の「よき友」と結びつけることも可能です。


▼鎗毛長・虎隠良・禅釜尚
「やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう」は中巻の最初の見ひらきに描かれていて、この3体がワンセットになっています。

どれも武家たちには切っても切れない道具たちでもあって、題材となっている器物たちには「さむらい」たちに縁の深いものであるというつながりは、デザインと呼び名のみからもうかがうことが出来ます。

いっぽうで、填詞[かきいれ]に加えられている要素を踏まえると、なぜ「槍」と「虎」と「茶」が関係を持たされているのかも、ヤハリ武家とは切っても切れない「茶の湯」を通じて、うかがうことが可能です。

▼日本無双の剛の者
母里太兵衛[もりたへえ]や後藤又兵衛[ごとうまたべえ]たちのような豪傑たちを言ったもので、名高い槍の「日本号」[にっぽんごう]を所持していた武将たちです。

▼手にふれたりし毛鑓にや
「日本号を持ったような豪傑たち」が持ったことのあるような毛鑓(毛槍)が「やりけちょう」という画像妖怪なのかもネ――と石燕はおどけているわけです。
これも『画図百器徒然』の填詞によくある、「よいもの」に対しての落差を画像妖怪の側にあてて、おもしろみをつけているもので、太兵衛や又兵衛とは「無関係」でないと意味は通らなくなってしまうわけです。

▼怪しみをみて怪しまず
『徒然草』の206段にあることば「あやしみを見てあやしまざる時は」――を石燕は引いて使っています。

206段のはなしは牛車用の「牛」が勝手に役所のなかに入って寝そべってしまった「怪異」をどうすべきかと役人たちが博士に問い合わようとするなど大慌てをするはなしで、つづく「こいんりょう」に出て来る「虎」の代わりによく用いられる革の材料の存在をチラつかせています。

▼まづ先がけや
「さきがけ」と「かけや」(掛矢)との掛詞。掛矢は「やりけちょう」が振り上げている槌に近づけてのものだと言えます。

▼たけき獣[けもの]
虎[とら]のこと。母里太兵衛は福島正則[ふくしままさのり]から見事に「日本号」を拝領しましたが、朝鮮出兵の際に虎に負けそうになったとき、後藤又兵衛に救われ、その礼として「日本号」と又兵衛の槍とを交換したというはなしが講釈では語られます。

あとに出て来る「ときこと千里をはしる」も、疾風のように千里を駈ける虎のことを述べています。

▼革にて製したるきんちゃく
革で出来ている巾着のこと。甲斐国の印伝革[いんでんかく]は印度産の虎の革でつくったのがはじまりで、のちに日本で手に入る鹿の革でつくるようになった――などの言い伝えが存在するので、「虎の革」は上等な巾着を示すことばだと言えます。

「こいんりょう」の頭は巾着であることは、『和漢三才図会』(巻26・服玩具)にある「巾著」(巾着)の挿絵と見くらべてみてもよくわかります。なお、同書ではひとつ前の項に「印篭」(薬瓢)があり、そちらにも「革」を用いてつくる長門印篭[ながといんろう]のことも説明されていますので、巾着と印篭が革を素材とするもの同士で組み合わされているということもわかります。

▼そのときこと千里をはしるがごとし
つづけて「虎の革で出来た上等な古物の巾着」のような巾着・印篭が「こいんりょう」という画像妖怪なのかもネ――と石燕はおどけているわけです。

▼茶は閑寂[かんじゃく]を事とする
茶の湯は閑静であることを旨にするものであるからということ。

福島正則は「日本号」という大変立派な槍を持っていたわけですが、茶道具としてもこれまた立派な「油屋の茶入」を持っていました。どちらも正則が豊臣秀吉から拝領した品で、コチラの茶入は徳川時代のはじめに福島家から将軍家に献上されています。

つまり、この「やりけちょう・こいんりょう・ぜんふしょう」のデザインに関わって来る、槍と虎と茶は、福島正則を中心に「よく物をくれるひと」に関わる品物への結びつきが引き出しやすい「道具立て」にもなっているわけです。

なお、この茶入は将軍家から土井利勝に下賜されたものの、時運はめぐって同家から売却されることになって市場に出てしまいました。この売却は元禄ごろのことですので、石燕はその後の「茶入」の流転状態もくすぐりとして入れていたのかも知れません。

▼陰気ありてかかる怪異もありぬべし
つづけて「茶室は陽気で賑やかではない」ので「ぜんふしょう」のような茶釜の画像妖怪が出て来るかも知れないネ――と石燕はおどけているわけです。

▼文福茶釜のためし
茶釜つながりで「たぬき」が化けた「ぶんぶくちゃがま」を引き出して、「あらたにつくったもの」である「ぜんふしょう」の対となる「あるもの」としての落差を、この填詞では後方から添えています。

――また、これは石燕が使っていてもいなくても「よく物をくれるひと」(福島正則)の図式は成立するので余談でしかありませんが、『雲州宝物伝来書』に「天明三年私方より御取次申上、御買上に相成、御代金千五百両」とあるごとく、何人もの持主を転々とした「油屋の茶入」は、1783年ごろに茶の趣味で知られる松平治郷の所有にもなっており、さらに『画図百器徒然袋』(1784)から見て少し未来の寛政年間には「鎗鞘の茶入」[やりのさやのちゃいれ]も落手して、茶入の和漢両大関(和物の王が鎗鞘、唐物の王が油屋)を揃えています。



up.2026.05.25

■鎗毛長
■虎印良
■禅釜尚
――石燕の手による画像妖怪



▼毛鎗…先端に鳥毛・熊毛などをはじめとした飾りをつけている槍ぢゃ。毛槍や槍鞘は武家の表道具であって、大名たちは行列のときにコレで威儀を示したぞ。家ごとにかたちが定まってもいて、『武鑑』にもその家が行列に持つ槍がどういうかたちか絵を記載する欄があるのぢゃ
▼色…毛の色には、白・黒・赤などがあるぞ
▼熊手…戦陣でつかうほうの熊手ぢゃ
▼印篭…印形や薬を入れておくための携帯用の容器ぢゃ。漆ぬりの細工を施すようになってからは
▼茶釜…お湯をわかすための金属製の容器ぢゃ。鑵子・湯沸かし。
▼坐蒲…坐禅をくむ時におしりに敷くまるい敷物ぢゃ
▼蒲団釜…まるい茶釜で「平釜」よりも少し背の高いものぢゃ。「ふとん」と呼ばれる理由は精確には伝わっておらず「坐蒲に似ているから」と同様に「千利休が階段からおりるときに蒲団に包んだから」とも俗に語られるぞ
▼五徳…五徳の足・爪も3本、「ぜんふしょう」の手の爪も3本ぢゃ
▼3体いっしょ…『百鬼夜行絵巻』には、槌を振り上げた妖怪・熊手を持った妖怪・三ッ目の妖怪がひと組として、赤い妖怪の左側に並んでいるぞ。この3体はほとんどの『百鬼夜行絵巻』でおなじ位置に描かれている定番の画像妖怪ぢゃ
▼赤い妖怪…『百鬼夜行絵巻の赤い妖怪』も参照するとよいぞ。石燕はこの妖怪についてはリデザインして描いてはおらぬ
▼薬…「印篭」は実際の用途から「薬瓢」という漢語が用字としてあてられることが多く、『和漢三才図会』(巻26・服玩具)や『書言事考節用集』(巻7・器材門)の解説のなかにも「薬瓢」という字句は見られるぞ


▼日本号…福島正則が太閤殿下から拝領していたのぢゃ。モトモトはみかどから足利家に下賜された刀で、講釈ではこの刀身の由来や作者については演者ごとに「郷義弘」だったり「小鍛冶宗近」だったり、はたまた「神代のむかしの剣」であったりとバラバラ千差万別だぞ
▼母里太兵衛…黒田家の武将ぢゃ。「日本号」を福島正則からもらったはなしは『黒田節』などでもひとびとのよく知るところぢゃ
▼怪しみを…『徒然草』(206段)曰「あやしみを見てあやしまざる時は あやしみかへりて破る」
▼牛…結局、陰陽博士に打診するまでもなく太政大臣さまの判断で、この牛は車の持ち主のところに「返す」、寝そべった場所の畳は取り替える――という対処を用いたぞ。結局、役人たちが牛の侵入に過剰反応をしたダケで、凶事はなにも起こらなかったのぢゃ
▼かけや…掛矢。大きな木槌で、ものを壊したりするときに用いるぞ。弁慶や大高源吾の絵でよくみる持ち道具ぢゃ。絵に描かれている槌は「掛矢」な寸法ではあまり見えない。
▼又兵衛の槍…後藤又兵衛のものは「当麻の槍」と称されるぞ
▼ときこと…疾きこと。「はやいこと」ということぢゃ
▼きんちゃく…『和漢三才図会』(巻26・服玩具)では革でつくられている巾著(巾着)についての記述が多く載っており、印伝革などについても記しているぞ。「こいんりょう」や巾着については、『大佐用』vol.95「虎隠良とは?」で詳しくあつかっているぞ
▼革でつくる印篭…◆『和漢三才図会』(巻26・服玩具)曰「今以革作盒子 黒漆出於長門者所 盛丹薬不乾」
▼巾着と印篭…腰にさげるものとしては対でもあったぞ。◆『男色大鑑』(巻5)曰「熟革横ひだの巾着に鹿の角の根付 長門練の無地の印篭 これならでは」
▼油屋の茶入…堺の豪商のひとり油屋常祐の持ち物だった茶入[ちゃいれ]。油屋肩衝。
▼献上…その後、公方さまから「油屋の茶入」は土井利勝へ褒美としてお授けとなったぞ。その後は元禄のころに財務がガタついた土井家から、河村瑞軒に売却されて、市場に出ることになり、市場を流れ流れてゆくことになった
▼1783年ごろ…購入を「天明3年」とする説と「天明7年」とする説があるので、石燕が不昧公の入手についてまでを考慮していたかどうかについてはあやしい箇所もあるが、購入後に松平家では茶入専用の乗物をつくっていたことは事実なので、購入が天明3年だとすれば、天明3年に制作されている『画図百器徒然袋』には、「油屋の茶入」のあたらしい持主は新規すぎる話題であったろうことぢゃ
▼陰気…陰気から妖怪たちが生じるというのは、深山幽谷の純陰・幽陰の気から「おに」や「てんぐ」や「やまうば」たちが生まれるとしている山岡元隣の理屈を移植しているものと見られるぞ。◆山岡元隣『百物語評判』(巻3)曰「此[この]妖怪かならず人倫遠き所にあるは 是れ純陰の気の処より生ずるなれば 人家多くつづきてただしき気のあつまる処には 其[その]術もうすらぐ心にや侍らん」
▼文福茶釜…既に石燕は「もりんじのかま」として絵に描いているぞ、ぶんかぶか
▼鎗鞘の茶入…古瀬戸で出来ている茶入。かたちが槍の鞘のようであるところからの銘だぞ