髪鬼・髪女
「かみおに」には『徒然草』や髪の毛に関連した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。本文と目録とのあいだには「髪鬼」と「髪女」という呼び名の大きな揺れがあって、実のところドチラとも定めがたい部分はあります。
まえへ|つぎへ石燕は、鏡台のまえに立って、ものすごく長くなった黒髪に巻き込まれている女性の妖怪として「かみおに」(あるいは「かみおんな」)を描いています。頭のてっぺんのあたりの髪の毛は「おに」の角のように2つ逆立っており、鬼としての画像要素が表現されています。
綺麗な模様が細工としてつけられている鏡台のまわりには、畳紙[たとう]に入った大量の髪の毛と、櫛[くし]が落ちています。
『女用訓蒙図彙』(1687)に描かれている「鏡台」もおなじように引き出しがついたかたちのものが描かれていますが、個体の形状としては異なるものを石燕は描いています。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている髪を振り乱して紐でつないだ獣を連れている画像妖怪をリデザインしたものだと見られます。
絵巻物に描かれている髪を振り乱した妖怪は上半身が裸形で、袴[はかま]のみをつけているわけですが、石燕の「かみおに」も上半身は裸形、袴のみをつけているというかたちで描かれていることからも、デザインの共通点がわかります。
石燕は、すごくのびた長い髪と袴の画像要素を用いており、顔や姿勢の向き、いっしょにいた獣の妖怪などはまったく使っていませんから、大幅にデザインを変えて「かみおに」をつくってるとも言えます。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
「かみおに」の絵では、鏡台しか背景の道具立てがないので、ぼろぼろな建物などの描写は登場しません。しかし、鏡台にかけられている「鏡」の右側のふちが欠けたようになっているので、そこがぼろぼろ箇所であるとは言えそうです。
『徒然草』の9段には「女の髪はめでたからんこそ 人の目たつべけれ」であったり「女の髪すぢをよれる綱には大象もよくつながれ」――と女のひとの髪の毛についての話題が出て来る箇所があり、このあたりを絵巻物の画像妖怪に引き寄せて、さらに毛量をグレードアップさせて描いたのが「かみおに」のようです。
「かみおんな」という目録の側にダケ存在する呼び名についても、『徒然草』の9段を構成の基盤にして「かみおに」のデザインに進んだと考えれば、特に違和感のない呼び名になります。
この9段の内容は、別の箇所が「ふくろむじな」にも用いられており、1段の内容が部分部分で複数の妖怪に使われてもいることが明確に知れます。
▼髪鬼・髪女
「かいちご」とは「女のひとに縁のあるもの」な画像妖怪として対になっており、コチラは「女の命」とも称されていた髪の毛が題材として用いられてます。素材がハッキリとした対になっていることからも、最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。
▼身体髪膚[しんたいはっぷ]は父ははの遺体[いたい]なるに
「身体髪膚は父母の遺体」というのは『孝経』にある有名なことばで、刺青[いれずみ]やら何やらに対する注意のこごとにもよく用いられてた文章です。
「遺体」は、うけついでいるからだという意味で、「遺伝」などの「遺」だと捉えるとわかりやすいでしょう。
▼千すじの落髪[おちがみ]を
多くの落ち髪を。「千筋」は「ちすじ」でたくさんの本数のこと。「落髪」は脱け落ちた髪の毛。
▼泥土[でいど]に
天竺の鉢摩[はつま]国の摩納[まのう]は、ほとけさまの足が泥で汚れないように、髪の毛を自ら切って、自分の着ていた鹿皮の衣といっしょに地面に敷いた――という「布髪掩泥」のはなしを「髪」つながりで巻き込んだものです。
▼汚[けが]したる罪[つみ]にかかるくるしみをくるなり
釈迦牟尼は前世で自ら切った髪を泥のうえに敷くようなことをしたけど、対して「かみおに」は大切な黒髪をだらしなく捨てていた結果としてこのような苦しみを受けてるようなすがたの画像妖怪なのかも知れないネ――と石燕はおどけているわけです。
おろそかにしてはいけない「身体髪膚」のおしえや、髪の毛つながりで「布髪掩泥」のはなしをすこし巻き込みつつ「よいもの」を示して、そういうものとは真逆な「わるいもの」の構造で「おにかみ」に繋がる無為な落ち髪を結びつけるという基本的な構造で書かれている戯文です。また、「罪をうくるなり」のあとには「言ふ」ともあるので「くらやろう」のように自称していた――というかたちも採っているようです。
up.2026.05.28
■髪鬼
■髪女
――石燕の手による画像妖怪
▼鏡台…鏡をかけておくための台。したに引き出しなどが設けられていて、櫛や化粧道具を収納出来るかたちのものを石燕は描いているぞ
▼角…髪の毛を角のようにしている例は、実際に髪をかためて角のようにした「はしひめ」などで似たような表現を石燕は先行して描いているぞ
▼大量の髪…填詞などから類推すると、櫛梳[くしけず]ることで「かみおに」から脱け落ちた「落ち髪」であると見えるぞ
▼姿勢の向き…絵巻物では正面向きだが、「かみおに」は鏡のほうを向いていてコチラから見れば背面向きになっているのぢゃ
▼大象…女の髪でつくった綱は巨大な象すらつなぎとめるというはなし。女の髪は大象もつなぐ・女のよれる黒髪に大象もつながるる・美人のK髪に大象を曳く。『徒然草』の註などでは、もとは『大威徳陀羅尼経』にあると称されているが俗説であって、『五苦章句経』などであるらしいぞ。海に深くに沈んだ梵鐘を引き揚げるときに、国中の女の髪をあつめてつくった綱を用いるなどの展開は芝居や講釈、絵草紙(『白縫譚』)でおなじみの展開でもあるぞ。江戸でうたわれてた「牡丹に唐獅子 竹に虎」ではじまる尻取り唄の最後に出て来る「咲いた桜になぜ駒つなぐ」の次の「つなぐかもじに大象とまる」もコレを踏まえた文句だぞ。◆『五苦章句経』曰「大白象 力壮 移山壊地成澗抜樹砕石 象力無双 有人以髪絆繋其脚 象為之躄不能復動」
▼髪鬼・髪女…どうして違う呼び名にまとまってしまったのかはハッキリわからぬが、別に間違えたというわけでもなさそうなので複数呼び名があるぐらいに見たほうが良いと言える例ぢゃ
▼身体髪膚…髪の毛も含めてからだ全身。◆『孝経』曰「身体髪膚 父母之遺体 無敢毀傷 孝之始也」
▼落髪…紀貫之の和歌に「あさなあさなけづれば積もる落ち髪の乱れて物を思ふ頃かな」などがあるぞ
▼鉢摩国…鉢摩大国。漢訳は蓮華城・衆華城。「はつま」は梵語で「蓮華」の意味ぢゃ
▼摩納…釈迦牟尼の前世のひとつ。儒童・無垢光・雲童・摩納婆・摩那婆・摩納縛迦などとも。定光如来とあったときのはなしぢゃ
▼布髪掩泥…訓読すると「はつをしいて でいをおおう」となるのぢゃ
▼落髪…田中訥言『百鬼夜行絵巻』(18-19c)で、髪を振り乱して紐でつないだ獣を連れている妖怪には「落がみのせい」という文字が添えられているのぢゃ。これは「落ち髪の精」とよめるわけで、『画図百器徒然袋』の填詞にある内容を逆再生させてつくられた文字情報だと知れるぞ