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へいろく

鳥山石燕百石乳|画図百器徒然袋

へいろく

幣六

「へいろく」には『徒然草』に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。

まえへつぎへ

■顔は上向きになりたまえ

石燕は、幣束[へいそく]を持った上半身が裸形な毛深い妖怪として「へいろく」を描いています。上半身は裸形ですが、頭には烏帽子、下半身には袴[はかま]をつけています。顔は上に仰向いていて、空のほうを睨んでいます。

「へいそく」の足は裸足ですが、地面にあたる空間には描写として点々があちこちに打たれており、床板などではなく、戸外であることはうかがえます。

大道具には、瑞垣[みずがき]や立てられた竹、張られた注連縄[しめなわ]があり、道具立てが並べてあるダケの描写ながら、キチンと神社の境内な景観となっています。

■百鬼夜行絵巻からのここからリデザイン

石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている幣を持ったがりがりの骨のような画像妖怪をリデザインしたものだと見られます。

がりがりの骨のような妖怪は2体描かれていますが、そのうちの左側に描かれている、正面を向いて顔を上に向けているほうの妖怪が、「へいろく」と姿勢の執り方が一致しているので、石燕がデザインをするときの素材にしたものであることが知れます。

しかし、画像要素で言えば、幣束を持っていること・顔が上を向いていることの2点が主なもので、がりがりで骨のようだった体躯も健康的になって体毛も鬚[あごひげ]もわさわさと生え、全体的なデザインは大幅に神社向けにリデザインさせています。

「へいろく」という呼び名は「幣束」[へいそく]や「幣帛」[へいはく]などを人名めかして変換したものだと見られます。

■どちらがお社であらしゃりますか

『徒然草』に神社は、『徒然草』の絵巻物や画帖などでの絵の定型を通じて「くつつら」の背景と関係のありそうな、24段にも出て来ますが、他にも67段や196段などにも見られます。

67段では、賀茂にある岩本社(在原業平をまつる)と橋本社(藤原実方をまつる)は名前が似ているのでよく間違われるというはなし、196段では神輿[みこし]が神社の社頭を通過するときは随身たちが警蹕[けいひつ]をして先払いをしないといけない、そうしないとその神の眷属である悪鬼・悪神たちによる害があるかも知れないという西宮の記にあるという故事を、まだ発狂していなかったころの久我[こが]内大臣が語っていたよというはなしが記されています。

とりわけ、196段は注釈書などでも「悪神」や「悪鬼」についての註が入ることは多く、石燕が填詞[かきいれ]で「あらぶるこころまします神」などという単語選びをしていることにも繋がって来る点です。

■ぼろぼろな幣帛ちりちり

石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。

「へいろく」の大道具は特にぼろぼろには描かれていないため、ぼろぼろな雰囲気は特に見られません。垂れさがっている注連縄の一部分や、振り上げている幣束の一部分が千切れて散らかっている描写などが、荒れている様子を示しているとは言えるでしょうか。


▼幣六
めんれいき」とは「寺社に奉じられるもの同士」な画像妖怪として描かれており、最初から一対の存在として想定して描いたものであることは非常によくわかります。

コチラは大道具のつくりかたからも、神仏でいえば「神」の側に重点が掛けられているのも、「対」の効果が出ています。

▼花のみやこに社[やしろ]さだめず
祀られるべき社殿がハッキリ定まっていないこと。

▼あらぶるこころまします神の
荒振る心。「まします」のあたりにも祝詞[のりと]の口調を利かせています。

『徒然草』の注釈書は196段の本文に登場する、神の眷属である「悪鬼・悪神」についてに註をよく割いています。高田宗賢『徒然草大全』(1677)の註(巻下4・六十)では「悪鬼・悪神」たちの具体例として、「事代主[ことしろぬし]の神 八万四千の鬼類」や「牛頭天王[ごずてんのう]眷属有 八万四千六百五十四神」、あるいは西宮左大臣が遭遇したが隠声[さきおいのこえ](警蹕)で退けたという「変化[へんげ]の物」などを挙げており、しばしば本文と同時に触れられる情報要素として広く存在していました。

八万四千などの「数」は、「めんれいき」で聖徳太子と秦河勝がはじめたと語られていた猿楽[さるがく]の曲の六十六という「数」とも対比の出来る要素です。

▼さわぎ出給ひにや
キチンとおまつりされている神さまではなく、社殿も定まっていない荒ぶる神あるいはその眷属のようなものが「へいろく」で、この絵のように幣束を打ち振って騒いでいるのかな――と石燕はおどけています。

内容としては、「へいろく」に当てられている箇所しか填詞[かきいれ]には書かれておらず、あまり詳しいものにはなっていません。このような場合、単体ではなく「対」となっている「めんれいき」が聖徳太子や秦河勝に故事つけられている点との対比を考慮しないと、理解の難しい例なのかも知れません。


up.2026.06.04

■幣六
――石燕の手による画像妖怪



▼がりがりの骨のような妖怪…2体とも幣束を手にしているところは共通しているが、右側は明確に頭部が骸骨なのが特徴としてはよく観察されるものぢゃ
▼在原業平…六歌仙のひとりで絶世の色男。『伊勢物語』の主人公は、彼にあてはめられて考えられ、『伊勢物語』や和歌の古註では「伊勢」は「陰陽」のちからを示すという壮大な神仏論理に組み立てられていったのぢゃ
▼藤原実方…「にゅうないすずめ」のはなしで有名ぢゃ
▼警蹕…貴いおかたが通る道の先を清め、先払いをすること『北山抄』には「神社行幸 准大嘗会御禊 但至る目于社頭不警蹕」とあり、「本来、社頭で警蹕はせずともよいのではないか?」というのが問題となったのぢゃ
▼悪鬼悪神…◆『徒然草』(196段)曰「眷属の悪鬼悪神を恐るる故に神社にて ことにさきを追ふべき理[ことはり]あり」◆『』
▼久我内大臣…源通基。悪鬼・悪神たちへの対処の故実について語っていたのは近衛大将をつとめていたときのはなし。学識あるすぐれた公卿だったが、のちに乱気発狂してしまい、下着姿で地蔵菩薩の木像を道ばたで洗っていたりしたはなしは、先に『徒然草』195段で語られているのぢゃ
▼西宮の記…西宮左大臣こと、源高明のしるしたもの。藤井高尚『松の落葉』にある「神社にてはさきをおはすまじき事」での考証によれば、源高明『西宮記』にある儀礼のしきたりには「警蹕をする」という記載は見られず、源高明が神泉苑で「へんげのもの」に遭遇したことを受けたものだとしても少し整合がとれぬとまとめているぞ



▼花のみやこ…聖徳太子の寺が平城京や大阪であることを考えれば、「花の都」は、平安京な西京でも、八百八町な東都でもドチラでも認識は可能ぢゃ。
▼荒振る…神々に古くからよく用いられることばぢゃ。『徒然草』の注釈書で挙げられている196段の神々たちも荒振る神たちであることは、あわせてよく考えておくことぢゃ
▼事代主…「おおくにぬし」の子にあたる神。神仏理論書では幽界をつかさどっているとされることもあり、「えんまだいおう」とも重ね合わされていることがあったぞ。鬼たちを多く従えているという説はそのような流れや、「ごずてんのう」などとの関係からなのぢゃ
▼牛頭天王…祇王精舎の神。強大な疫神として疫病よけに信仰されていたぞ
▼西宮左大臣…源高明
▼変化の物…神泉苑の艮[うしとら]角で「へんげのもの」が遭ったが、「さきのこえ」(先触れの警蹕の声)でこれを退けたというはなしが『徒然草』の註にもあるが、これは『源氏物語』の「夕顔」にある「さきもおはせ給はず」の註のなかに見られるはなしのようぢゃ。◆『河海抄』(夕顔)曰「隠声[さきのこゑ] 昔は内々のありきにも 先ををひけりと云々 用心のためなり 変化のものも さきのこゑにおそるるなどいへり 西宮左大臣 神泉苑の艮角にて変化のものにあはれけるに さきの声する時は ひき入けるとあり 是はことさらしのびやつしたれば さきもをはすと云也」 ◆九条稙通『孟津抄』(夕顔)曰「むかしは内々のありきにも さきををひけりと云々 用心のため也 変化の物もさきの声におそるるなどいへり 西宮左大臣 神泉苑の艮角にて変化の物にあはれけるに さきのこゑする時分ひき入けるとあり 是はことさらやつしたれば さきもをはすと云也 隠声」◆正徹『源氏一滴集』(夕顔)曰「隠声[さきのこゑ]は内々のありきにも さきををひけりと云々 用心為なり 西宮左大臣 神泉苑の艮角にて変化の物に逢給けるにも さきをふ音する時は にげさりけると云々」
▼神…「みのわらじ」や「うんがいきょう」では石燕は明確に「ようかい」(妖怪)ということばを使っているので、「へいろく」も妖怪であるとは思うが、ここでは神仏・寺社の対ということで「神」あるいは「眷属」に見立てていること自体が戯文としての「おもしろみ」なのぢゃろう