沓頬
「くつつら」には、鄭瓜州[ていかしゅう]や了悟[りょうご]などを活用した戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、「くつつら」を画面の左側にある華表[とりい]の前に控えたたずんでいるような様子で描いています。
底を合わせてそろえた沓[くつ]が鼻に生えている獣類のかたちの妖怪と、頭の上に靴[くつ]がついている人類のすがたの妖怪の2体が描かれており、ドチラもが「くつつら」ではあるようです。
人なすがたのほうの手には、獣なすがたのほうの首にかけられた手綱[たづな]のような紐[ひも]が持たれていて、馭するような姿勢になっていますが、この2体の明確な関係はワカリマセン。
『徒然草』66段には、「初雪といへども 沓[くつ]のはなのかくれぬほどの雪にはまゐらず」とあり、初雪のときには「沓」の鼻(先っぽ)が隠れるぐらいの雪が積もったらゆくべし――というお使いのときの心得が書かれています。
獣なすがたの「くつつら」の「鼻」に2個1足・ひと揃いな「沓」を明確に生やしているのは、『徒然草』のこの箇所を踏まえたものなのでしょう。しかし、「雪」のほうは特に道具立てとしては画面に入れていません。鼻が隠れるほどに積もっているとほぼ埋まってしまうからでしょうか。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、獣類のかたちのほうは沓が上にのっている這いつくばっている妖怪、人類のすがたのほうは靴をあたまにつけて幡[はた]を持って走っている白い犬のような顔つきの妖怪の画像要素を用いて、リデザインしたものかと考えられます。
石燕のデザインした「くつつら」は、絵巻物の素材と見られる画像妖怪と見比べると、獣のほうは、耳・瞼肉・多い牙・長い尾など加えられて強そうになっていますし、沓も片方ではなく2つで「個数」が異なります。
また、人のほうは、仕丁か神官のような白い衣服・巻き毛な髪や髯が加わっており、鋸状のギザギザな顎などを考えると「人」よりも「鬼」に近いのかも知れません。
どちらも参照されてはいるものの、「沓が生えている」「靴をあたまにつけてる」ことぐらいを画像要素として抽出したことになりますが、衣裳や部品を大幅に改変することは石燕はしょっちゅうやっているので、それであったとしても違和感は特にありません。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
しかし、この絵は戸外(社頭)が素材になっているので特にぼろぼろな箇所は描写されていません。填詞には「瓜田」(瓜の畑)の話題が出て来ていますが、そもそも瓜田は景観としてまったく絵に描かれていない、「くつつら」の別に瓜を喰い散らかしては描かれていないという点は、「ふぐるまようひ」の絵に「文車」が描かれても化けてもいなかったことなどとあわせて眺める必要があります。
「おさこうぶり」の絵では、御所の様子を記載している『徒然草』23段が間接的に用いられているとおぼしい部分がありますが、その隣の24段では、古い神社のたたずまいについて「すてがたくなまめかしき物なれや」と褒める描写が出て来ます。このあたりも、『徒然草』の文章からの大道具設定が、おなじ見ひらきに連絡しながら描かれていそうなことも強く想定出来ます。
24段には「榊」[さかき]が言及されているので、石燕が華表と共に描いている枝は榊かと見られます。
三木隠人『絵入徒然草』(1690)では、24段に挿絵がつけられています。その挿絵では、華表[とりい]のある社頭の様子が描かれており、華表に榊[さかき]の枝が結びつけられてる点などに注意が必要です。
▼沓頬
「おさこうぶり」とは「かんむり/くつ」として対の存在になっています。填詞でも故事成語に出て来る「李・冠/瓜・沓」の対比を利かせていて、最初から一対の存在として想定して描いたものであることはよくわかります。
『徒然草』の65段には「冠」がむかしより大きくなったこと、66段には初雪のときには「沓」の鼻(先っぽ)が隠れるぐらいの雪が積もったらゆくべしということが内容としては書かれており、その点でも「冠/沓」は隣同士に配置されています。
▼鄭瓜州[ていかしゅう]
鄭審[ていしん]のこと。杜甫[とほ]の旧友のひとりで、おなじく古くからつきあいのある鄭虔[ていけん]の甥。
『唐詩選』に入っている「解悶」というふるさとの瓜をおもった詩に「鄭瓜州」という呼び方が登場します。填詞を「瓜づくし」にするために、名前に瓜の字が入っていることから召喚されているようです。
「解悶」は『唐詩選』の註の解説でも、瓜がごろごろと出て来ます。たとえば、『唐詩選国字解』(1782)の註(巻7)でも「今じぶん吾が里にもよい瓜があらうがと故郷を思ひ出す」や「故郷のやうな瓜でも持てきてくれたらばわが愁も解やうとなり」などの解説の文言があり、「瓜」についての話題の代表としては召喚されやすい人物だったと言えます。
▼瓜田
瓜の畑のこと。「解悶」に出て来る異国や故郷の瓜畑たちと、故事成語の瓜田を掛けあわせています。
▼霊隠寺の僧
笑庵了悟[しょうあんりょうご]のことを「瓜を喰ふ霊隠寺の僧」と呼んでいるものと考えられます。「瓜を喰ふ」は前につく「瓜田に怪ありて」後につく「霊隠寺の僧」どちらにも掛け合わせることが出来るわけです。
了悟禅師は、杭州の霊隠寺にいた僧侶で「昨日栽茄子 今日種冬瓜 一声河満子 和月落誰家」と頌したということが『増集続伝灯録』(巻2)『続灯正統』(巻11)『宗鑑法林』(巻23)などに載っており知られます。おなじ質問に対する頌として『禅林類聚』(巻18)『禅宗頌古連珠通集』(巻22)で隣に出て来る南巌勝禅師が出している頌には「被蓑側笠千峯上 引水澆蔬五老前 中有瓜田難納履 睦州倒退在傍辺」とあり、「瓜田」も顔を出しますから召喚されてしまったわけです。
▼李下不正冠[りかにかんむりをたださず]
『文選』にある、よく知られた故事成語。「瓜田不納履[かでんにくつをいれず]李下不正冠[りかにかんむりをいれず]」は、瓜[うり]や李[すもも]のどろぼうだと思われるような行動はおこなわないようにしよう――という意味です。これは石燕による填詞で「沓」と「瓜」を繋ぐ中心になっています。
「李下不正冠」と書かれていた霊符で、瓜田にも怪が出なくなった、このようなはなしに出て来るものが「くつつら」かもしれないネ――と石燕はおどけているわけですが、このはなし自体が曖昧で石燕が「瓜」に関係あることばや人名や説話を吹き寄せて並べた「物づくし」つまり「瓜づくし」なダケの内容だとも言えます。
「おさこうぶり」をはじめ本作で数多く石燕が用いている戯文の形式(【●よいもの】と落差のある【●わるいもの】を提示して、描いた画像妖怪を「後者みたいなものがコレかもしれないネ」――と説く手法)と、「くつつら」の填詞の構造が異なることからも推測することが必要な点です。
▼符
なぞなぞのようなおまじないの文字を置いて、害物をしりぞけた説話としては「狐」の字のなかにある「瓜」の字をつかったはなしがもともと広く知られていました。
そういった説話の展開を「冠/沓」という見ひらきの関係も踏まえて、本来はそのままソチラのほうが霊符にしたためる文字としても見合っている「瓜田不納履」ではなく「李下不正冠」のほうにして石燕は用いた――と見ることも十二分に可能です。
up.2026.05.20
■沓頬
――石燕の手による画像妖怪
▼底を合わせて…獣類のかたちの「くつつら」の鼻にあたる沓の形状は『大佐用』vol.120「沓頬の沓鼻」で委しく観察したぞ
▼沓…浅沓[あさぐつ]ぢゃ
▼靴…靴沓[かのくつ]ぢゃ
▼ドチラも…「沓頬」という名称の用字から「沓」(浅沓)のみと採れば獣のかたちのほうダケを「くつつら」と採ることも出来るのぢゃ。しかし「靴」(靴の沓)も「かのくつ」と「沓」の字を入れて語りはするので「いぬがみ・しらちご」のように明記されておらぬ限り、決め手としては薄いぞ
▼明確な関係…靴が沓の飼主なのか、沓は別の妖怪の持ち物で靴もその妖怪のしもべにすぎないのか、たまたま沓が靴に捕まえられたのか、どれなのかも填詞にはそもそも言及はないぞ
▼66段…『徒然草』のこの段は、ご進物を贈る際のお使いの作法についてをあれこれ述べているぞ
▼獣類のかたちのほう…『百鬼夜行絵巻』の「沓」の画像妖怪は、現代では小松茂美式の解説などに従って「はりねずみ」のようだと形容されることが定番になってるが、石燕の描き方は「はりねずみ」を意識しているとは特に言えぬぞ。当時「沓」の画像妖怪がどのような獣だと想定されていたのかは割かし未知数ぢゃ
▼人類のすがたのほう…『百鬼夜行絵巻』の「靴」の画像妖怪を素材にしていたかどうかはハッキリせぬところだが、そうであったとすると「靴」以外はかなり無視をして大幅デザインを変更だぞ
▼仕丁…白丁
▼ギザギザ…鬼の絵によく描かれる画像要素ぢゃ
▼改変…「ちりづかかいおう」も、素材とした『百鬼夜行絵巻』の妖怪には冠は
ついていないのに、かぶせることで石燕は王に仕立てているぞ
▼瓜田…「瓜」自体も絵としては描き込まれていません。つまり、鄭瓜州のはなしや瓜田不納履の格言も「沓」の画像妖怪たちの絵に「沓」を縁語に後から添加した戯文でしかないということは、この点でも良く知れるぞ
▼なまめかしく…兼好法師は「神社」や「神楽」を褒めるときにこの表現をよく使うぞ。◆『徒然草』(24段)「すべて神の社こそすてがたくなまめかしき物なれや」◆『徒然草』(16段)「神楽こそなまめかしくおもしろけれ」
▼榊…『徒然草』(24段)曰「さか木にゆふかけたるなど いみじからぬかは」
▼鄭瓜州や了悟については『大佐用』vol.119「沓頬と鄭瓜州と笑庵了悟」で委しく観察したぞ
▼宇野東山『唐詩選解』(1784)の註(巻下)も「今時分 吾が里にもよい瓜があらふがと故郷を思ひ出す」や「故郷のやうな瓜をでも持て来てくれたらば吾が愁も解やうと也」と『唐詩選国字解』とほぼかわらない解説をつけており、瓜がごろごろしてるぞ
▼笑庵…咲庵という用字も版本によっては多いぞ。「咲庵悟」が悟了のことぢゃ。「咲」は「わらう」とよむので同字だぞ
▼質問…◆『禅宗頌古連珠通集』(巻22)曰「睦州因僧問 以一重去一重即不問 不以一重去一重時如何 師曰 昨朝栽茄子 今日種冬瓜」
▼文選…◆『文選』(古楽府)曰「君子防未然 不処嫌疑間 瓜田不納履 李下不正冠」
▼物づくし…「くつつら」につづく「ばけのかわごろも」や「きぬたぬき」も填詞の構造は「物づくし」寄りになっていると見えるぞ
▼狐…「己[おの]が字の旁[つくり]を食らう狐かな」という句を立てておいたら、瓜畑を荒らしていた狐たちが悪さをしなくなったというはなしは、野々口立圃(1595-1669)の説話などをはじめ広く知られているぞ