面霊気
「めんれいき」には『徒然草』や秦河勝に関連する戯文が填詞[かきいれ]として添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、猿楽に用いられる仮面・面[おもて]たちの妖怪を「めんれいき」として描いています。ひときわ高い位置にいる仮面にかけられた紐[ひも]は房の部分が人間の手のような動きを見せているように描かれています。
画面にはすべてで5枚の仮面が描かれています。このうち、いちばん高い位置に描かれている老人(翁や悪尉?)の仮面が明確に「めんれいき」として描かれていると見られ、下に並べられている残りの4枚(大べしみ/武悪/中将や真角?/小おもて)は、どのぐらい化けているのかは絵のうえでは未確定です。
後には舞踊の演奏に用いられる、巴[ともえ]と竜の描かれた太鼓が置かれており、古めかしさを演出しています。戸や欄間には法輪・唐花など、ドチラかといえば寺院を象徴するような文様が確認出来ます。
石燕は土佐系統の絵巻物の画像妖怪をリデザインして描いており、『百鬼夜行絵巻』に描かれている変身しようといろいろ準備をしている途中の狐たちの画像要素を用いてリデザインしたものかと考えられます。
変身の準備をしている狐の1体は、手に持った小さい鏡を見ながら仮面をつけており、緑色の鬼形に化けつつあります。『非躍起夜行絵巻』から画像要素を抽出しているのであれば、この仮面を膨らませて、仮面の妖怪たちを並べてみたのだろうと言えます。
『徒然草』の220段には、天王寺の舞楽に用いられる図(調子の基準となる音)は、聖徳太子の時代のように「黄鐘[おうしき]調」の鐘の音が調律の基準に用いられているので古式ゆかしい響きなのです――といったはなしが書かれており、芸能と聖徳太子が顔を見せています。
もともと、猿楽[さるがく]や能面のはじまりの由来が聖徳太子の時代の秦河勝[はたのかわかつ]に結びつけられて語られることは、新井白石『俳優考』や寺島良安『和漢三才図会』(巻16・芸能)の「謡」[うたい]の項などにも見られ、一般でよく語られる俗説としては広く用いられていたので、そのつながりで「仮面」の話題として填詞に秦河勝が登場していることも、発想のうえでの繋がりとしてわかりやすい構造です。
石燕は『画図百器徒然袋』の序文に明示されているように、「夢」のなかで見た「ぼろぼろな古御所」で遭遇した妖怪たちを描いた――という設定を一貫して用いて背景なども描いています。
置いてある太鼓や、大道具として建てられている「法輪」文様のある戸の格子も、ところどころ破れていて、ぼろぼろ状態を醸し出しています。
▼面霊気
「へいろく」とは「寺社に奉じられるもの同士」な画像妖怪として描かれており、最初から一対の存在として想定して描いたものであることは非常によくわかります。
コチラは聖徳太子も登場していて、神仏でいえば「仏」の側に重点が掛けられているのも、「対」の効果が出ています。
▼聖徳太子の時 秦の川勝あまたの仮面[めん]を製せしよし
聖徳太子の時代に秦河勝(川勝)が神仏に奉納する六十六番の舞の曲のために、たくさんの仮面をつくったと言います――ということ。
秦河勝が猿楽のはじまりであるとされるはじまりのはなしを持って来たものです。
舞に用いられる古い面には「聖徳太子 御作」という由緒が「いわれ」としてつけられていることもありますが、これは聖徳太子が面をつくって秦河勝に与えて踊らせた――とするかたちもあるからで、その根源も、聖徳太子と秦河勝がはじめたものであるとする言説にあったわけです。
石燕が「仮面」という表記を用いてわざわざ「めん」という傍訓をつけているのは、『書言字考節用集』(巻7・器財門)などをはじめ、いろいろな本で「仮面」という表記で書かれることが多いことに拠っているようです。
▼かくいけるがごとくは
「斯く生けるが如くは」――で、普通であれば、生身の人間であるような精巧な面であることですが、「めんれいき」の場合は生きているように動いていることを含めての形容だと言えます。
▼川勝のたくめる仮面にやあらん
聖徳太子の時代に秦河勝がつくったとされる古い由緒のある仮面がこの世にはあるけれども、この「めんれいき」という動き出す仮面の画像妖怪も、もしかしたら秦川勝のつくったものなのかも知れないネ――と石燕はおどけています。
「あるもの」と「ないもの」の落差の構成ではなく、中巻から増えて来た「つのはんぞう」(小野小町の角盥)や「きょうりんりん」(守敏僧都の経典)のような、「有名なひと」と「関係あったもの」かも知れないネ――という結びつけ方が、この「めんれいき」でも用いられています。
当然のことながら「有名なひとに関係あったもの」と対比させることの落差が主眼となっている「おもしろみな」ですから、そういう「いわれ」があるという真面目な記載では全くない填詞[かきいれ]ではあるわけです。
up.2026.06.03
■面霊気
――石燕の手による画像妖怪
▼秦河勝(秦川勝)…名前は広隆とも。「振旦(震旦)秦の皇子」(『聖徳太子伝私記』)などとも称され、聖徳太子のもとでその技才を用いられていた人物ぢゃ。赤ちゃんの状態で甕のなかに入って日本に流れ着いたなどのふしぎな来歴が語られて来たひとでもあるぞ。◆『聖徳太子伝図会』曰「かの甕[かめ]を破りて叡覧あるに一箇の男孩子現れ出 その容貌端正にして面は素玉[しらたま]の如く群臣おのおの驚き奇[あやし]まずといふ事なし」
▼翁…翁である場合、顎の部分が「切り顎」と言って部品がぶらぶらと独立していることが特徴であるので、石燕の絵にその特徴が明確に描写されていないことを考えると、正統なかたちの「翁」とはないとも判別出来るのぢゃ
▼面…見た目としてわかりやすい般若[はんにゃ]や生成[なまなり]などが面として登場していないのは、先行して石燕は普通に「はんにゃ」を描いてしまっているからとも考えられるぞ
▼狐たち…この狐たちは全体で見れば「ばけのかわごろも」にも画像要素が用いられているのぢゃ
▼小さい鏡を見ながら…妖怪が自身の出来具合をたしかめている様子は、鏡の妖怪である「うんがいきょう」にも連絡していると考えられるのぢゃ
▼天王寺…四天王寺。聖徳太子による創建
▼舞楽…雅楽にあわせて舞われるもの
▼図…「図に乗る」ということばに使われる「図」ぢゃ
▼黄鐘…古代の音階のひとつ。兼好法師は「鐘の音は黄鐘調なるべし これ無常の調子 祇園精舎の無常院の音なり」と示しているぞ
▼猿楽のはじまり…◆世阿弥『申楽談義』曰「大和申楽は河勝よりすぐに伝はる」◆『和漢三才図会』(巻16・芸能「謳」)曰「謡舞楽秦川勝従而製之 住吉大神更感之」◆『和漢三才図会』(巻18・楽器「鼓」)曰「聖徳太子与秦川勝 相議而於 神楽五直加手舞足踏曲 改 弟鼓兄鼓 撥調[ばちのうち]為指調[ゆびうち] 加左卜調[しめのしらべ] 造三本片切調」
▼俳優考…◆新井白石『俳優考』曰「大優者の伎と申すは推古天皇の御時に摂政し玉ひし豊聡太子 六十六番の曲を作りて秦河勝に命じ玉ひ橘の内裏の紫宸殿の前にて其技をなさしめ玉ひしかば 四海穏やかに 万民安く楽しむ 太子神楽の神の字を折て 之を申楽と名けらる」
▼猿楽のはじまり…秦河勝の子孫だとされる秦氏安という村上天皇の時代の人物を中興の祖として設定されていることもあるぞ
▼製せしよし…◆世阿弥『申楽談義』曰「竹田は根本の河勝よりの面など重代あり」
▼御作…◆世阿弥『風姿花伝』曰「氏安より相伝たる聖徳太子の御作の鬼面 春日の御神影 仏舎利 是三 この家に伝る所也」
▼聖徳太子が面をつくって…太子のほうが面打ちをしているはなしは世阿弥『風姿花伝』などにもあるものぢゃ
▼風姿花伝…◆世阿弥『風姿花伝』曰「上宮太子 天下少し障りありと時 神代 仏在所の吉例に任て 六十六番の物まねを彼河勝に仰せて 同じく六十六番の面を御作にて 則河勝に与へ給ふ」
▼仮面…『書言字考節用集』(巻7・器財門)では「仮面」のほかには「戯面」などの字が載せられているぞ
▼たくめる…工める・巧める。木から仮面を彫刻したということぢゃ