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はかのひ

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

はかのひ

墓の火

「はかのひ」には、『徒然草』の内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。目録での「墓」の傍訓に「は」としか書かれていないのは、どの版でもおなじ様子です。省略したかたちなのでしょうか。

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■古塚からもえいづる燐火

石燕は、朽ち崩れて草や小笹のはびこり出した墓所の五輪塔から燐火が燃え上がっている様子を「はかのひ」として描いています。五輪塔のあたまの部分、梵字の部分などは欠けてしまっており、埋葬されてからかなりの星霜を経た墓所であることが伝わります。

「はかのひ」自体が、地中から燃え出している様子がキチンと描き込まれており、「燐火」が墓所の地中から出るということを意識して石燕はデザインしています。

■燐火は血であるという特徴

こせんじょうのひ」とおなじく、「はかのひ」も人間の血と湿気が結びついて化している「燐火」に属する陰火であると考えられていました。

児島正長によって書かれた『秉燭或問珍』(1710)の「狐火の説」では、「剣戟[けんげき]抔[など]にかかりて死[しし]たる者の塚は時として燃る事あり」または「狐火は態[わざと]燃[もや]さんと云ふ心ありて燃[もへ] 古塚は何の心もなく自然に燃[もゆ]る也 」など、「燐火」にあたる「はかのひ」のような普通の陰火と「きつねび」の違いを並べてもいます。
また、「燐火」そのものについては、地中に入った「血」と「湿気」が条件として合致すれば起こるものであって、「乾ける地なれば燃る事なし」という冷静なことも述べつつ、精霊(亡霊)が意志を持って燃やしているものではないということを強調して説いています。

裏返せば、そのような「燐火」が、「しりょう」などの娑婆[しゃば]に残った「念」から起こって燃えているものだ――として語る僧侶や行者などが、多数存在していたということも知れるわけです。

▼墓の火
「はかのひ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「ひけしばば」とは火に関係するというあたりが一対の共通点になっています。こちらは火の燃えるほうの妖怪。

山岡元隣『百物語評判』(1686)では、切腹をした武士の燐火が墓から出たという「西寺町墓の燃えし事」(巻4)というはなしが紹介されており、血が「燐火」になるというはなしをしています。

▼去るものは日々にうとく 生ずるものは日々にしたし
「去る者は日々に疎く 生がる者は日々に親し」は、『文選』の「古詩十九首」にある「去者日以疎 生物日以親」を引いたもので、広く使われていたことわざ。

この『文選』の漢詩は、『徒然草』30段でも内容の基盤になっており、石燕は古いお墓のことが主題になっている『徒然草』30段を活用して、この「はかのひ」の填詞[かきいれ]を添えていることがよくわかります。

▼古きつかは犁[すか]れて田となり しるしの松は薪[たきぎ]となりて
同様に「古詩十九首」にある「古墓犁者田 松栢摧為薪」を引いたもの。古くなってしまったお墓が、造成されて田んぼになったり、そこに植えてあった松の木々が燃料になってしまってしまうような無常さについての描写も、『徒然草』30段で用いられていることで、よく知られていました。

▼五輪のかたちありありと陰火のもゆる事あるは いかなる執着[しゅぅぢゃく]の心ならんかし
あとかたもなく造成されてしまったようなお墓ではなく、まだ五輪塔があるような古いお墓に燃える陰火は、どのような「念」の執着から燃えているものだろうか――と石燕は「絵」に即して、付け足しているわけです。


up.2026.07.02

■墓の火…百物語評判




▼湿気…燐火が燃え出すひとの墓を、乾いた場所に移設すれば墓から燐火は出なくなるだろう――といった実験めいた仮説も「燐火は霊が意識して燃やしているものではない」と説く学者たちからは、よく示されていたものぢゃ



▼百物語評判…◆山岡元隣『百物語評判』(巻4)曰「近き頃 西寺町のある寺に切腹せし人を葬りしが夜毎に其墓より火もえ出で候」
▼徒然草…石燕は『画図百器徒然袋』で、『徒然草』を全面に駆使しているわけだが、既にこの段階から利用はうかがえるわけぢゃ
▼去る者は…◆『徒然草』(30段)曰「年月へても つゆ忘るるにはあらねど 去る者は日々に疎しといへることなれば」
▼古き塚は…◆『徒然草』(30段)曰「嵐にむせびし松も千年を待たで薪にくだかれ 古き墳[つか]はすかれて田とはなりぬ そのかただになくなりぬるぞかなしき」
▼執着…亡霊による執念