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けじょうろう

鳥山石燕百石乳|今昔画図続百鬼

けじょうろう

毛倡妓

「けじょうろう」には、妓楼にそういう妖怪に出るとする填詞[かきいれ]が添えられています。

まえへつぎへ

■毛がいっぱいで前だか後だか

石燕は、髪の毛だらけで顔がない遊女の妖怪として「けじょうろう」を描いています。結っていない洗い髪を無雑作に垂らして、廊下にひとりたたずんでいます。

廊下には「たかおんな」と絵とおなじく上草履[うわぞうり]が脱ぎ散らかしてあるのが見られるので、舞台設定が妓楼[じょろうや]であることが知れます。折りたたんだ状態の箱提灯[はこぢょうちん]も窓際に置かれていますが、コレも嫖客[おきゃく]の送り迎えに常に使われていたものです。

暖簾[のれん]の内側の座敷に置いてあるのは、盃[さかずき]を置くための盃台で、塗り物のようです。

■髪の毛ばかりの妖怪は

髪の毛ばかりの妖怪という画像要素は、石燕は主題として持っていたようで、のちに『画図百器徒然袋』の「かみおに」でも、ほぼ似たような主題を展開させています。

桜川慈悲成・歌川豊国による『御存之化物』(1792)では「見越入道」たちが「毛女郎」をあらそって、不破伴左衛門・名古屋山三郎めかした鞘当[さやあて]の展開になるという創作がなされたり、『変化物春遊』(1793)でも「毛女郎」が単独で描かれていたりもしていますから、そこまで突飛な存在というわけでもなく、「髪の毛だらけの不気味な者に遭遇した」というような噂話または失敗談、あるいは先行する版本が、キチンと存在したのでしょう。

毛深いことを「ももんじぃ」や「ももんがぁ」と戯れて言ったり、「楊貴妃[ようきひ]のようだ」とか「熊の皮みてぇだ」と呼んだりすることがあるわけですが、そういう方面の要素はあまりなく、髪の毛についての要素が主題となっている様子は、填詞[かきいれ]からも知れます。

■倡妓の身でありんす

「倡妓」[しょうぎ]は「娼妓」と同義のことばで、「女郎」、「遊女」のこと。洒落本などでも「倡妓」の字が用いられることは多いです。「じょうろう」は「じょろう」とおなじですから、ドチラで発音してもおなじことです。訓読すれば「うかれめ」や「あそびめ」、「たわれめ」などになります。

『書言字考節用集』(巻4・人倫門)では「うかれめ」に「遊女」の字が挙げられています。

▼毛倡妓
「けじょうろう」は、見ひらきにいっしょに描かれている「あおにょうぼう」とは女のひとのすがたをした妖怪同士として対に描かれていると言えます。コチラは顔がないことでおどろかせるタイプです。

▼ある風流士[たはれお]うかれ女[め]のもとにかよひけるが
「たわれお」は妓楼に遊びに来る男、「うかれめ」は遊女のことです。

『書言字考節用集』(巻4・人倫門)では「たわれお」は「狂夫・遊士」などの字が挙げられており、「たわれめ」にも「遊女」の字があります。

▼高楼[たかどの]のれんじの前にて女の髪うちみだしたる うしろ姿をみて その人かと前をみれば
「れんじ」は木を格子のように縦にこまかく組んだもの、れんじ窓。

▼額[ひたひ]も面[おもて]も一ちめんに髪おひて 目はなもさらに みえざりけり
一面髪の毛だらけで、目鼻も何も見えないような者だった――ということ。

後から声を掛けているので、前にまわって顔を見たということなのでしょうが、そちらも髪の毛だらけだったので、顔はどこにあるんだ――と、びっくりしてしまったわけです。

▼おどろきて たえいりける
お客は、びっくりして気絶してしまったソウナ――と、「けじょうろう」では、しっかりとどういう妖怪なのか、填詞[かきいれ]でのはなしの起承転結がハッキリしています。

逆に言えば、説明をわざわざ書き込むほど、「けじょうろう」という固有の存在としては広く共有されていなかったとさ言えそうですが、それは「けじょうろう」は石燕が独自に切り出したものであるから、というハナシであって、「髪の毛だらけの不気味な者に遭遇した」という伝承要素自体は存在していたであろうことは容易に想像出来ます。


up.2026.07.09

■毛倡妓




▼箱提灯…ひろげられている状態の箱提灯は「ひけしばば」の絵の中心に小道具として描かれているのぢゃ
▼毛女郎…◆桜川慈悲成『変化物春遊』曰「目も鼻もなく総身みな髪の如くして よく暗き廊下なぞにいることあり」 ▼楊貴妃…俗に、陰毛がすごくながいと語られてたのぢゃ◆『色道禁秘抄』曰「貴妃の陰毛 引のばす時は膝頭を過ぎるとあれば毛の多き事 知る可し」



▼高楼…妓楼・青楼のこと。つまりは女郎屋ぢゃ