彭侯
「ほうこう」には、漢籍の内容に即した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、人面狗身なかたちをした存在として「ほうこう」を描いています。まわりには木々が多く描き込まれていて、木の精霊であることを示しています。
デザインは『和漢三才図会』(巻40・怪類)の挿絵にあるものを、さらにリデザインしたもののようで、身体の向きの左右を入れ替えているダケで(和漢三才図会は顔が右側、石燕は顔が左側)姿勢はほぼおなじです。
「ほうこう」の坐っている巌頭の裏手には、まっすぐコチラに向かって流れる清流も描かれており、奥まった山のなかが舞台であることも知れます。
「彭侯」は古くから熟語として知られて来ている漢語なので、「魑魅」[ちみ]が「すだま」、「罔象」[もうしょう]が「みずち」として訓まれるようなかたちで、「彭侯」という字が「こだま」と訓まれる場面も多く見られます。
実際、『和漢三才図会』(巻40・怪類)でも「彭侯」は語義を優先して「こだま」で立項されていますし、『書言字考節用集』(巻5・気形門)でも「こだま」には「彭侯」のほうが字としては紹介されており逆に「木魅」は見られません。
▼彭侯
「ほうこう」は、見ひらきにいっしょに描かれている「てんぐつぶて」とは山にいる妖怪、山中の陰の気から生まれる「てんぐこだま」な妖魅たちとしてのつながりで描かれているようです。
木の精霊としての「こだま」は既に描いていることともあわせて、石燕が「やまびこ」とは異なる、と言及しているのも関連が深い箇所です。
▼千載の木には精あり 状[かたち]黒狗[くろいぬ]のごとし 尾なし 面[おもて]人に似たり
『和漢三才図会』(巻40・怪類)の「彭侯」[こだま]の解説にある「木之精也 千歳之木有精 状如黒狗 無尾 人面」――をそのまま下敷きにしていることがわかります。
「千歳」が「千載」と置き換わっていますが、同義の別語なので特に大きな違いはありません。
▼山彦[やまびこ]とは別なり
この箇所も『和漢三才図会』に「俗此与山彦為一物 誤也」とあって、声を響かせて来る「やまびこ」な「こだま」と、「木の精霊」な「こだま」とはまぎらわしいけれども少し性質が異なるよ――という内容は既に広く語られていたことが知れます。
山岡元隣『百物語評判』(巻1)でも、『捜神記』にある敬叔[けいしゅく]が「ほうこう」を木のなかにみつけて、煮て食べたというはなしを載せています。「ほうこう」を食べることが可能なことは『和漢三才図会』でも引用されていますが、石燕は言及していません。
ほかの填詞[かきいれ]とおなじく、石燕はドチラかといえば妖怪の性質として掲載すべき情報要素を、まるっきり省略しているという場面が多くあるわけですが、この点も石燕の本はあくまで「絵」が主体な「画譜」や「絵手本」であって、旧来的な「本草書」や現代的な意味での「妖怪図鑑」とは少し異なるということを理解する足がかりになると言えます。
up.2026.07.23
■彭侯…和漢三才図会、書言字考節用集
▼木々…葉っぱの描法もそれぞれ異なるものが用いられていて、多種類を描き込んでいるように意識して画面を見せようとしていることが知れるぞ
▼木のなかに見つけて…『探神記』にある敬叔のはなしでは、大きな樟[くす]の古木を伐っているときに「ほうこう」は発見されているぞ