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はたひろ

鳥山石燕百石乳|今昔百鬼拾遺

はたひろ

機尋

「はたひろ」には、「賦得自君之出矣」の内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。目録では漢字が用いられずに「はたひろ」とひらがなのみの表記になっている揺れが見られます。

まえへつぎへ

■月のような心でつくる

石燕は、完成されることもなく放置されたままになっていた布に顔がついて、蛇のようににょろにょろ動き出したかたちで「はたひろ」を描いています。途中まで織り上がった部分が頭と体になっているので、しっぽの側は未完成な糸のままの状態です。

機[はた]のしたに、機織りのときに使う杼[ひ]が落っこちていますが、そのほかには特に背景は描き込まれておらず、簡易な描写でまとめられています。

■ぼろぼろな機

石燕の「絵」で、機[はた]のほうが少しぼろぼろな状態になっているのは、填詞[かきいれ]に引っぱって来ている漢詩のイメージ(壊れてしまったままの残機)を少し加味した結果かも知れませんが、ハッキリしません。単に「妖怪」として描くための演出として朽ちさせたダケという動機も十二分に可能だからです。

■清姫からの発想

基本的に「じゃたい」や「はたひろ」は、「どうじょうじのかね」として既に描かれている、能『道成寺』の内容を援用しつつ、蛇体な妖怪としてデザインしている同工異曲な画像妖怪だと考えられます。

蛇の体の長さをあらわすことばとして縁起物語やお芝居にいつも出て来る「廿尋」の「はたひろ」という音をうまいこと「機尋」と別の意味に掛け変えることで、こちらもに実際にいそうな呼び名に組み立てられています。

▼機尋
「はたひろ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「こそでのて」とは衣料つながりな妖怪として一対になっているようです。「縫われて着物として使われていたもの/織られる途中で放置されつづけたもの」という対比でもあります。

当然、「じゃたい」とも対になっており、アチラに織模様がいろいろについていて全身があるのに対して、コチラはほぼ無地で半身しかないといった具合に、同工異曲な存在なぶん、キチンとデザインの違いが工夫されています。

▼はたひろは ある女 夫[おっと]の出てかへらざるをうらみ
「はたひろ」という妖怪は、こういうものですという設定を、この填詞[かきいれ]では最初から述べる形式になっています。

こういう構成だということは、逆に「はたひろ」が石燕のデザインした画像妖怪であるということも、これまでの傾向から考えれば、前面に伝わって来るということです。

▼おりかかれる機をたちしに
張九齢の詩のなかでは特別、「断ち」という文句が登場するわけではないので、ここで石燕の「はたひろ」のおはなしのなかの妻が「断機」してしまっているのは孟子[もうし]のお母さんもソレで良く知られてるいることも考えれば、「機つながり」からの吹き寄せだとも言えます。

▼その一念 はたひろあまりの蛇[じゃ]となりて 夫の行衛[ゆくゑ]をしたひしとぞ
能『道成寺』に出て来る「一念の毒蛇となって」などのことばを踏まえたもの。「はたひろ」という呼び名自体も、お芝居で大蛇などが出て来るときに用いられる「廿尋」[はたひろ]ということばをモトにしています。

石燕は「はたひろ」がいなくなってしまった夫を「慕った」ということしか書いていないので、動き出したあとにどうなったのかはハッキリしません。

探し求めに追い駈けるにしても、半身ダケで飛び出していったのか、あるいは機から離れることは出来ずに悲しみつづけていたのか、果たしてどういう行動を想定していたのでしょうか。

▼自君之出矣 不復理残機 と唐詩にもつくれり
張九齢[ちょうきゅうれい]の漢詩「賦得自君之出矣」にある文句を引いたもの。想い人が家からいなくなってしまい、残されて壊れたままの機[はた]も私もそのままです、といった内容です。

モトの漢詩では、このあとの後半に「思君如満月 夜夜減清輝」――とつづいていて、満月が日ごとに小さく欠けてゆくように、想い待つ身はやつれてゆくダケです、とあります。コチラの漢詩も特別「はたひろ」という妖怪に縁があるというわけではなく、題材となっている器物そのものつながりで添えられたものでしかない、ということが「こそでのて」の漢詩とおなじように、良くわかりますね。


up.2026.08.04

■機尋




▼機織り…古代から「機織り」は女のひとの手掛ける特別な仕事とされて来ており、布や糸に関する道具は「女工具」と区分されることが多かったのぢゃ
▼ぼろぼろ…背景にぼろぼろ要素を出して描くという演出は、むしろ『画図百器徒然袋』のほうで一貫して用いられる設定になってゆくぞ
▼残機…のこされたままの機のこと



▼孟子のお母さん…機織りの途中で布を断ち切ってしまえば使い物にはならぬといういましめを語った「孟母断機」は、教育に良い土地で子育てはすべきだとする「孟母三遷」と共に、孟子のお母さんが示したとされる、良く知られた故事ぢゃ
▼廿尋…巨大な大蛇を示すときには大体用いられている形容であって、『浄瑠璃物語』でも源義経の刀が蛇に変わるこ場面でも「廿尋[はたひろ]あまりの大蛇」と示されているぞ