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ひまむしにゅうどう

鳥山石燕百石乳|今昔百鬼拾遺

ひまむしにゅうどう

火間虫入道

「ひまむしにゅうどう」には、「ヘマムシ入道」の文字絵について盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。

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■夜勤のおじゃま虫

石燕は、えんのしたから這い出て来て照明として点されている瓦灯[がとう]の油をぺろぺろと長い舌でなめてるすがたで「ひまむしにゅうどう」を描いています。舌や首がにょろにょろと特徴立って細長いのは「ヘマムシ」の「まむし」からの連想なのでしょう。

小道具は割と種類が多く、瓦灯のほかには小さい猪口[ちょこ]、夜具蒲団、枕、土間にはひっくり返った足駄、えんのしたには炭俵[すみだわら]のようなものが見られます。

画面の左下のほうの土間[どま]には、竈[かまど]もあり、うえには鶏[にわとり]の絵の描いてある荒神[こうじん]さまの絵馬が飾ってあります。この鶏の絵馬は「虫よけ」になると考えられていて、並べて飾ってある荒神松[こうじんまつ]といっしょに市中で販売されていたものです。「ヘマムシ」の「むし」との連想から描き込まれたものであろうことはよく知れます。

■デザインされやすい身近なことば

お坊さんの横顔を描く「ヘマムシ入道」という文字絵のことばを下敷きにして、それを画像妖怪としてデザインしたのが「ひまむしにゅうどう」で、伝承などが先行して存在するものではないと言えます。

「ヘマムシ入道」が、横顔でしか描かれることのない材料であることをキチンと意識して、「ひまむしにゅうどう」も横顔でしか描かれていません。

万象亭『画本纂怪興』(1791)や山東京伝『怪談摸摸夢字彙』(1803)でも、同様な文字絵は「ヘマムシ与入道」や「ヘマムシヨ入道」として画像妖怪に仕立てられており、石燕とおなじ発想で描かれたものであることがわかると共に、彼らの描いているのは「ひまむしにゅうどう」ではないことから、石燕の「ひまむしにゅうどう」自体は逆に市民権を得ていた存在なわけでもないことが知れます。

▼火間虫入道
「ひまむしにゅうどう」は、見ひらきにいっしょに描かれている「おおざとう」とは坊主あたまな妖怪同士として並べられているようです。

じゃたい」や「はたひろ」ともにょろにょろした蛇のようなものたちつながりで関連して来る構成です。

▼人生[じんせい]勤[つとむる]にあり つとむる時は匱[とぼし]からず といへり
「人生有勤 勤則不匱」は「人間は働きつづけることが肝心ぢゃ」といった格言で、『春秋左氏伝』(巻11)の「民生在勤 勤則不匱」や、『宋名臣言行録』(巻11)にある蘇頌[そしょう]の「人生在勤 勤則不匱 戸枢不蠧 流水不腐 此其理也」などを通じて、定着していたことばです。

つまり、人間にとって励行すべき「すこやかな良いこと」であって、それとは真逆な存在が「ひまむしにゅうどう」だということになります。

▼生[いき]て時に益[えき]なく うかりうかりと間[ひま]をぬすみて 一生をおくるものは
「うかりうかり」というのはぼんやりと過ごすこと、うかりひょん。「ひまをぬすむ」は「偸間」で休息・休憩すること。この場合、だらだらのたのた極楽蜻蛉[ごくらくとんぼ]に暮らしている様子を示しています。

▼死しても その霊 ひまむし夜[よ]入道となりて
死んだあとに「ひまむしよにゅうどう」――つまり「ひまむしにゅうどう」になってしまうという設定を石燕は述べています。

人間としてのつとめをあまり一生懸命果たさずに死んだものは、魔物や妖怪になって苦しむことになるというおしえは、吉川神道や垂加神道などでも普通に語られつづけていたものなので、そういう思想の語り口を採り入れて戯文に仕立ててもいるのでしょう。

▼灯[ともしび]の油をねぶり 人の夜作[よなべ]をさまたぐるとなん
仕事に使っている照明を邪魔してしまうという性質の部分を、「絵」に即して言及しています。

真面目な「天命」に沿った勤めの役に立たない様子は、懶婦魚[らんふぎょ]の油のような雰囲気ですが、「ひまむしにゅうどう」の場合は、油が役に立たないのではなく、本人が油をなめに来て邪魔をする様子です。

▼今 訛[あやまり]てヘマムシとよぶは へとひと五音相通也
みんなの使っている「へまむし」は「ひまむし」が転訛したものなんだよ――としていますが、これは歌学などで古語の説明のときによく出て来る口振りを用いている落差をたのしむ戯文形式であって、「へまむし」から「ひまむし」をつくりましたという表明に過ぎません。

五音[ごいん]というのは宮・商・角・徴・羽あるいは喉・牙・歯・唇・舌で、属する音がおなじであればそれぞれの音(日本語ならば50音)は移動しあうことが出来るというのが「五音相通」です。「は行」が五音のうちのどれにあたるのかということは表によって異なるのですが、おなじ「は行」の音にあたる「へ」と「ひ」は相通することが出来るという理屈ということですね。


up.2026.08.05

■火間虫入道




▼ヘマムシ入道…文字をつかって描く文字絵のひとつで「ヘマムシ入道」あるいは「ヘマムシヨ入道」の文字を組み合わせて横顔から見たお坊さんの絵を描くというものぢゃ。「へのへのもへじ」や「つる三ハ〇〇ムシ」のような誰でも知っている文字絵として、親しまれていたぞ
▼瓦灯…倒れにくいように、重たい瓦のような材質の焼き物でつくられた照明器具
▼にょろにょろ…中巻の見ひらきの左側に来る絵は、ここまでも「じゃたい」、「はたひろ」とつづいているわけぢゃ
▼荒神さまの絵馬…この絵馬は「なりがま」でも登場していて、お台所の小道具としては定番のもの


▼ひまむし夜入道…「ヘマムシヨ入道」から来ている呼び名で、「夜なべ」などにつなげているのも「ヨ」と「夜」の連想からのもの
▼灯の油…「ほんふ」(奔孚)や「らんふぎょ」(懶婦魚)など、なまけものな人間が死後に変じた魚から採れた油は、勉学や仕事の場の照明に用いてもなんだか薄暗くて役に立たず、遊びに使うための照明につかうときダケすごく明るくひかる――といった灯火のはなしは古くから知られておったものであるから、こういう情報要素も前提として踏まえられていると見られるぞ。◆『酉陽雑俎』曰「取之焼灯 照読書紡績 輒暗 照歓楽之処 則明」◆『南越志』曰「燃之照紡績則暗く 照歌舞則明」
▼五音相通…◆藤原範兼『和歌童蒙抄』曰「かくりとはかくれといふなり れとりは同こゑなればなり」◆藤原清輔『奥儀抄』曰「けけれなくとはこころなくと云也 かひの国の風俗とはべる さもやあらん ただ五音に強ひたれば いかにも ひがごとにはあらじ」 ◆『五韻次第』曰「一越調(澄)アイウエオ/喉内/宮・中央・黄色 双調(濁)カキクケコ(澄)ワヰウヱヲ/牙内/角・東・青色 黄鐘調(濁)サシスセソ(清)ヤイユエヨ/歯内/羽・南・赤色 平調(濁)ハヒフヘホ(澄)マミムメモ/唇内/商・西・白色 盤渉調(濁)タチツテト(澄)ラリルレロ/舌内/徴・冬・黒色 無調(澄)ナニヌネノ/舌内」 ◆『五音五位之次第』曰「アワヤ喉 タラナ舌 カ牙 サ歯 ハマ唇」 ◆久保田梁山『文学捷径』(五音相通の心得)曰「アイウエオ・ワイウエヲ・ヤイユエヨは喉より出る音にして宮[きう]の音なり タチツテト・ナニヌネノ・ラリルレロは皆な舌より出る音にして徴[ち]の音なり カキクケコは牙[おくば]より出る音にて角[かく]の音なり サシスセソは歯[まへば]より音にて商[しゃう]の音なり ハヒフヘホ・マミムメモは唇に出て羽[う]の音なり 皆な宮商角徴羽の五音に通じて自ら上下の開合あり」
▼五音…「は行」は「五韻次第」ならば「商・唇」、「五音五位之次第」ならば「唇」、「五音相通の心得」だと「羽・唇」が五音にあたるようぢゃ