殺生石
「せっしょうせき」には、「たまものまえ」の物語に即した填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、下野国の那須野で退治された「たまものまえ」が大きな石になって、毒を出して近くに来る生き物のいのちを奪いつづけていたと語られる「せっしょうせき」を描いています。岩石をそのまま描くわけではなく、毒のある気を吹き出す狐の顔のようなかたちの岩石としてデザインをつくって描いています。
吹き出されている毒気は、点々で描かれている上にねずみ色の版で気の導線を摺り込んで、「せっしょうせき」が口から周囲に対して、ぶわーッと吹き散らしている動作を伴って描かれています。
まわりには、発している毒によって落下してしまう禽類(小鳥たち)や、倒れてしまった畜類(兎)、その成れの果ての骨たちが散らばっていて、立ち枯れている木や、近寄れないように設けられている柵と共に、危険な存在であるということを示すものがたくさん描き込まれています。
玄翁(源翁)和尚の供養と法力によって「せっしょうせき」が砕けたことは、物語として良く知られているはなしで、各地ではそれに影響された伝説も数々語られています。
「たまものまえ」を成仏させるとき、与えた偈文[げぶん]として「法々塵々端的底 本来面目未曽蔵 現成公案大難事 異類中行絶度量」――というものがあり、よく知られていました。
百鬼拾遺には漢詩文を填詞[かきいれ]に引用する形式が多かったりするのですが、「せっしょうせき」ではその形式は用いられていません。毒気の拡がる様子を大きく描き過ぎて、単純に添えるダケの隙間が画面内になかったからなのでしょうか。
石燕は、「たまものまえ」(続百鬼)、「せっしょうせき」(百鬼拾遺)、「ふるうつぼ」(徒然袋)――と、毎回、「玉藻前」の物語内容を直接あるいは間接に用いた「絵」を入れていることが知れます。
▼殺生石
「せっしょうせき」は、見ひらきにいっしょに描かれている「ふうり」とは、「狐/狸」な対として描かれているようです。厳密に言えば「風狸」は「たぬき」ではないわけですが、ここでは趣向としての狸。
▼殺生石は下野国那須野にあり 老狐[ろうこ]の化する所にして鳥獣これに触[ふる]れば皆死す
「せっしょうせき」の基本な内容がコンパクトに記述されています。漠然と「老狐」と書かれていますが、こういった表現も「たまものまえ」の物語であることを大抵の受け手が知っているということが前提だったことによるものです。
「殺生石」の存在は『下学集』(1444)にある「犬追物」(能芸門)の解説のなかに「白狐知之 化而成石 飛禽走獣 当其殺気 者莫不斃 故謂之殺生石」――と、既にこの時点でキチンと性質が語られていますが、この段階ではまだそれが砕かれる後日談は設けられていませんでした。
▼応永二年乙亥[きのとのい]正月十一日 源翁[げんおう]和尚これを打破すといふ
「打破」には右に「だは」左に「うちやぶる」と音訓二様の傍訓がつけられています。
玄翁(源翁)和尚によって供養を受けた結果、「せっしょうせき」が打ち砕けたのが応永2年(1395)正月11日だとする設定は、寺社縁起や物語として用いられて来た日付で、それを引いたもの。
up.2026.08.06
■殺生石…下学集、(能)殺生石
▼殺生石…◆能『殺生石』曰「それは那須野の殺生石とて 人間は申すに及ばず 鳥類畜類までも さはるに命なし」
▼偈文…ありがたいおえしえのことば
▼法々塵々…さいごの箇所は「異類中行任度量」とも
▼狸…巻末に来る「もりんじのかま」までを含めての三福対だと見ても良いわけぢゃ
▼白狐…『下学集』では既に「玉藻前」の名前も出て来ているが、あくまで狐が化けたものとしてしか描写はされておらず、「しっぽ」の本数については言及されていないのぢゃ
▼飛禽走獣…鳥や獣たち