目競・眼競
「めくらべ」には、『平家物語』などの内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。目録では「目」ではなく「眼」の字が用いられていますが、特に意味の差異などはありません。
まえへ|つぎへ石燕は、目の玉のぎょろついた「しゃれこうべ」たちが山のように庭に積み上がっている、福原京での様子を画題に採って「めくらべ」を描いています。「しゃれこうべ」たちは完全に白骨ダケにはなっておらず、半分「なまくび」な感覚でデザインされており、耳や髪、肉などが残っているものも見られるのが描き方の特徴です。
舞台設定は普通に福原京の御殿なので、高欄[こうらん]や障子の入った花頭窓などが大道具として描き込まれていますが、平清盛[たいらのきよもり]本人は画面には描き込まれまれず、あくまで「妖怪」を画題の中心にした画譜であるという点はココでも強調されています。
『平家物語』(巻5)では、福原京にて平清盛[たいらのきよもり]の周辺にいろいろあらわれた妖怪たちについてが記されていて、「めくらべ」の題材になっている、庭に大量に出現した枯髑髏[しゃれこうべ]たちも、ソコで登場します。先行して続百鬼のときに描かれている「おおくび」も、ココに出て来る要素から描かれている画像妖怪です。
本文に登場する「しゃれこうべ」たちの動きの形容「よりあひよりのき ころびあひころびのき 中なるは端へまろびいで 端なるは中へまろびいる」――に見られるころころあっちこっちに転がったり押し合い圧し合いしている様子は、石燕の「めくらべ」たちの転がりぶりにも活かされていると言えます。
『源平盛衰記』(巻26)でも同様なはなしが見られ、平清盛と睨みあいをしています。
長門本『平家物語』(巻9)などでは、福原京での平清盛のみた夢のなかに「しゃれこうべ」が出て来た設定になっており「たとへば人の目くらべをする様に たがひにまたたきもせず はたとにらまへてぞ候ひける」――とあったり、「又あるときゆめに見給ひけるは 八間の所にはばかるほどのされかうべありて これも目一つありけるが また入道と目くらべし」――などの描写もあり、この「しゃれこうべ」たちに関して「めくらべ」ということばは古くから関連づけられていますから、自然と石燕もソレを呼び名として設定したことがわかります。
▼目競・眼競
「めくらべ」は、見ひらきにいっしょに描かれている「うしろがみ」とは「まえから/うしろから」という対比として並べられているようです。
目がいっぱい出て来るという点では、ひとつ前の見ひらきにいる「もくもくれん」をデザインする上で手助けをしている要素を多く持っている存在だとも考えられます。
▼大政入道清盛 ある夜の夢に
平清盛[たいらのきよもり]の「夢のなか」でのこと――とココでは設定されています。
「めくらべ」に相当する「しゃれこうべ」たちのはなしが「夢のなか」でのことという描写になっているのは長門本『平家物語』でもあるので、石燕がココで参考にしている内容の系統をココからうかがうことも可能です。
現在良く読まれているかたちの『平家物語』(巻5)では別に「しゃれこうべ」たちを睨み消したことが「夢」だとはされていませんが、このはなしの入っている「物怪」(巻5)の文頭には「都を福原へ遷されて後 平家の人々夢見もあしう」とあるにとどまっています。
▼されかうべ 東西より出て はじめは二つありけるが
長門本『平家物語』の本文でも「されかうべ 二いでて 東西よりねりあひねりあひぞしける」とあります。
▼のちには十 二十 五十 百 千 万 のちには いく千万といふ数をしらず
ここも同様に「十廿五十百千万のちには幾千万といふ数を知らず つぼにみちみちてぞ候ける」――と長門本『平家物語』ではつづいていますから、石燕が填詞[かきいれ]の文章をつくる上で、ほとんどそのまま下敷きにしていることはわかります。
▼入道もまけずに これをにらみけるに たとへば人の目くらべをするやう也しよし 平家物語にみえたり
「入道」は平清盛のこと。
強く睨み返すことで、霜の消えるように「しゃれこうべ」たちは消えたとされますが、石燕はいちばん肝心なその展開を填詞[かきいれ]で示していません。このような点は、「しゅてんどうじ」が全然退治のことについて書いていないことなどと同様で、「妖怪の解説」自体が主になっていないことを理解出来ます。
ここでの石燕の「『平家物語』に見えたり」が精確な提示であることがハッキリしまので、「良く知られている情報要素の妖怪」+「書名」という提示の組み合わせで構成されている形式の場合、ほとんどただしく填詞[かきいれ]のなかで情報が提示されているということが知れます。
up.2026.08.12
■目競
■眼競
▼福原京…平清盛たちがあらたな都として造営した地
▼しゃれこうべ…◆『平家物語』(巻5)曰「死人の枯髑髏[しゃれかうべ]共がいくらと云ふ数を知らず 坪の内に充ち満ちて」
▼なまくび…『源平盛衰記』(巻26)では「人の首」という描き方なのでソチラの成分もあるのぢゃろうか
▼目くらべ…にらめっこ
▼動き…『源平盛衰記』(巻26)では「いくらと云数もしらず充満[みちみち] 上になり下に成[なり]ころび合い[あひ]ころびのきしける」とあるのぢゃ
▼夢…長門本『平家物語』では「しゃれこうべ」な妖怪が出て来て睨み合ったはなしが複数出て来るのぢゃ
▼大政入道…太政入道
▼されかうべ…長門本『平家物語』の表記「されかうべ」と石燕の表記「されかうべ」も、それぞれ一致していることが知れるぞ
▼情報が提示…こうした適切な情報の提示があるということは大事なことで、書名や故事が示されていても、ハッキリとそこにその妖怪そのものの存在や痕跡がたどれないような例は、単なる連想でしかなく、石燕が創作した画像妖怪たちであるということが言えることの根拠にもなって来るわけぢゃ