見越
「みこしにゅうどう」を石燕は描いています。
まえへ|つぎへ狩野家で描かれて来た妖怪絵巻物には、「みこし」は「見越入道」や「大僧」などの表記で描かれており、石燕の「みこし」もソレを描いていると見られますが、絵巻物では正面向きに描かれているのに対し、石燕は真横からの姿勢で描いており、大幅に変更を加えています。
狩野家の絵巻物は妖怪のデザインのみで背景の存在しない例がほとんどで、石燕は野道にかかっている大きな樹木を描き込んで、「みこしにゅうどう」の大きくのびあがっている様子を、さらにわかりやすく演出しています。
「みこしにゅうどう」は、人間が歩いているときに、背後から大きな体をのびあがらせて、行く手からコチラを見おろすかたちで顔を出して驚かしてくる妖怪だ、と良く語られています。
絵草紙では首が「ろくろくび」のようにのびる様子も描かれがちなので、石燕の「みこし」の首がのびているのも、そのような画像要素を部分的に組み込んだものであることがうかがえます。
横顔として描かれている石燕の「みこし」の「絵」の耳は、バターロールのような、まるまった紡錘型に描かれており特徴的なデザインになっています。
寺島良安『和漢三才図会』(巻40・怪類)では「さんと」(山都)に「みこしにゅうどう」という和名を割り当てていますが、
「こだま」(木魅)や「かまいたち」(窮奇)や「じょろうぐも」(絡新婦)の法則に順えば、「山都」という用字を使っていても良さそうなのですが、そうなっていないことからも「見越入道」が一般にも認知され、親しまれていたことがうかがえます。
▼見越
「みこしにゅうどう」は、絵草紙にも古くから良く出て来たようで、『化物よめ入り』(18世紀中期)をはじめとした絵草紙でも、画像妖怪たちのひとつとして常連のように描かれています。
舌切雀を題材にした『舌きれ雀』や『今昔雀実記』(18世紀中期)でも、葛篭[つづら]から出て来るものとして「みこしにゅうどう」は大きく登場していたり、なぞかけの絵本である長谷川光信『御伽新二重謎』にも「神輿」[みこし]との語呂合わせで出て来ており、庶民たちにもすぐ理解される程度には認知されていたようです。
狩野家の絵巻物では最初に「みこしにゅうどう」が描かれていることも多かったようで、その結果として絵草紙では「化物の親玉」と設定されることが多かったようです。羽川珍重『是は御ぞんじのばけ物にて御座候』でも「みこしにゅうどう」は「ももんがぁ」たちと闘う司令官として活躍しています。
up.2026.08.16
■見越
▼見越入道…『鷹筑波』(1642)の時点で既に「かげぼしやみこし入道山の月」という句が見られるぞ
▼大僧…「なきびす」や「うみぼうず」などがいる系統の狩野家の絵巻物では「見越入道」ではなく「大僧」と呼び名が添えられている傾向が高いぞ
▼樹木…木の枝には何足も「わらじ」がぶら下げられており、人々のよく通る野道あるいは街道添いの道であることが想定されるのぢゃ
▼首…『化物よめ入り』でも、常に首がのびているのが特徴として描かれているぞ
▼耳…バターロールみたいな紡錘型の耳の描き方は、「がんばりにゅうどう」にも見られ、真横からの角度の耳を描いたときに石燕は描きがちだということが考えられるのぢゃ
▼長谷川光信…18世紀中期ごろまで活躍していた大坂の浮世絵師
▼なぞかけ…『御伽新二重謎』曰「祭りの見物とかけて たぬきのばけものととく 心はみこし見る」
▼是は御ぞんじのばけ物…「ばけもの」たちのあつまりの親玉が「みこしにゅうどう」、「へんげ」たちのあつまりの代表が「ももんがぁ」となって互いに合戦を繰り広げる内容の絵本ぢゃ。「はくぞうす」が仲裁役に出て、合戦は和睦となり、最後はみんなで踊りを舞って、めでたしめでたし