わいら
「わいら」には、呼び名のみが絵に添えられています。
まえへ|つぎへ狩野家で描かれて来た妖怪絵巻物にも、「わいら」は描かれており、石燕の「わいら」も、そのデザインを用いて描かれています。這っている姿勢や、鋭い1本の爪がある特徴ある前足など、見た目もほぼ重なっていますが、石燕のデザインでは「耳」や体表の「毛」の描き方が独自に工夫されているようです。
しかし、狩野家の絵巻物は妖怪のデザインのみで背景の存在しない例がほとんどです。石燕は山か森のなかにいるような道具立てのなかに「わいら」を描いているのですが、どうしてこういう舞台設定にしているのかについては何もハッキリしません。
石燕は、画面に大きな杉の木などを大道具として生やしているのですが、コレは狩野家の絵巻物での「わいら」が半分ぐらいまでしか身体の描かれていない「絵」でしかなく、それをうまくカバーするために舞台袖のような処理をしつつの工夫を入れたものだと言えます。
これは、絵巻物で構図として画面内に上半身しか入っていない「うわん」や「わうわう」(苧うに)などとも同様な処理です。
モトにしている画像要素自体に未設定なものが描き足されていない例だと言えますが、絵巻物に存在していなかった周囲の場面設定や大道具などが描き込まれているわげですから、総じて見れば、「描き足されていない」ということは全くなく、「大幅にリデザインされた」うえで「絵づくり」がなされていることはキッパリと明言出来るでしょう。
石燕も多く描いている狩野家の絵巻物に出て来る画像妖怪たちは、伝承要素を持っているものと持っていないものとに分かれるようで、「わいら」については、爪が鋭くて、にじり寄って来そう――といった見た目しかわからないような部類の存在です。
しかし、画像妖怪なのですから、大切なのはデザインであり、こういう妖怪が出て来たらびっくりする――! という部分がイチバンの存在理由であって、それ以上のものがなくとも、「おとろし」という呼び名が存在しなくとも、キチンとした妖怪なのです。
▼わいら
「わいら」は、見ひらきにいっしょに描かれている「おとろし」とは狩野家の絵巻物に見られる独特な画像妖怪たち同士として描かれていると見られます。
石燕に先行して、狩野家の絵巻物で描かれている「わいら」に共通している特徴は、それぞれ1本しかない鋭い爪だと言えそうです。
仏典には「こんごうしょ」(金剛杵)などを表わす梵語のなかには「和夷羅」(わいら)という呼び方もあり、執金剛閲叉などの音写に用いられています。この語は「まけいしゅら」(摩醯首羅)や「きんなら」(緊那羅)、「あしゅら」(阿修羅)などと並んで出て来る例も『翻訳名義集』(巻2)に見られます。
閲夜(夜叉)にも用いられていた「和夷羅」という単語を、固有名詞というよりも「鬼神・夜叉」程度な汎称の意味合いで用いていたとしても違和感はないですし、金剛杵のとがっている部分は「爪」と称されることも寺社ではあったようですから、「爪」に特徴のある画像妖怪に対して「和夷羅」の意味から「わいら」と呼び名をつけていたとしても、特異なことはない経路だとは考えられます。
「やまうば」や「ゆきおんな」や「うしおに」がいるように、狩野家の絵巻物に描かれる画像妖怪たちは、近世初期までの公家・寺社・武家の層に発達していた物語・戯曲・幼学書などにある情報要素がモトになって形成されていることはハッキリうかがえますから、そこにありそうな「呼び名に転用されていそう」な単語を探ってゆくことが、大切になって来るとは考えられますから、みなさんもさらに「ありそうな」箇所を探ってみることが肝要です。
ここで大切になって来るのは、あくまで狩野家の画家たちが「デザインとしてつくった画像妖怪」の「呼び名」として転用していそうな「ことば」を対象とすることです。
絵巻物にまで描かれているのに、現段階まで「ほとんどそういう妖怪がいるとされる伝承についてが、民間で自然に伝えられていない」または「狩野家の絵巻物の前後・石燕の前後の時代の物語・戯曲・演芸にもまったく確認出来ない」ということは、その妖怪が具体的に伝承の存在としては認知されていなかった、あるいは既に17世紀末までには寺社や公武の知識層の創作の上では存在していたけれども断絶した、という証左でしかありませんからね。
up.2026.08.18
■わいら
▼爪…「おとろし」は爪が3本、「わいら」は爪が1本で描かれており、爪の数での対にもなっていると言えるのぢゃ
▼半身…「あかじた」の場合は雲に包まれているという処理がモトモト絵巻物での絵にもあるわけだが、「わいら」の場合は単純に途中までしか描かれていないのぢゃ
▼仏典…仏典からの単語の参照経路については「かしゃ」などもあわせて考えてみることぢゃ。「しょうけら」で参考にあげてみた「商羯羅」(摩醯首羅)とおなじような考えのつけ方であるぞ
▼和夷羅…「ヴァジュラ」の音写のひとつであって「ばさら」などとも語義としてはおなじものぢゃ
▼閲叉…「夜叉」と同義