雨降小僧
「あめふりこぞう」には、大陸の雨の神様についての内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。
まえへ|つぎへ石燕は、蛇の目[じゃのめ]の唐傘をかぶった子供のすがたの妖怪として「あめふりこぞう」を描いています。下駄をはいて、手には提灯[ちょうちん]をさげており、薄暗い雨降りの天気のなかを歩いている様子がうかがえます。
唐傘は正面にあたる部分がパックリと割れており、傘をすぼめながらさし歩いていても顔がみえるような状態になっているのが特徴です。
雨の降っている景色のなかに配置されている大道具は、木々のほかに、柵に囲まれた高札場のようなものがありますが、やたら朽ち果てている描き方からみると、そういう絵を出版しても怒られない、軽微な「おふれ」が書いてある種類のものであるのかナといった様子もうかがえます。
雨の線は普通の墨線で表現されており、そこまで木版独自の表現というものは、この絵では見られません。
雨の降るなか、お使いをしているようなすがたで人前に現われて、突然消えたり、いつまでたっても追い越せなかったり、こわい顔を急に見せておどろかして来る――そんな妖怪たちはひとびとのあいだで普通に語られて来た存在でした。
石燕の「あめふりこぞう」も、具体的な素材はハッキリしませんが、そういう傾向の存在を画像妖怪として切り出して描いて、「あめふりこぞう」という呼び名をつけたものだと考えると、わかりやすいようです。
『新御伽婢子』(1683)の「雨小坊主」[あめのこぼうず](巻3)と題されたはなしも、雨の夜に歩いていたところ6〜7才ぐらいの身なりのしっかりした子供が雨のぬれながらどこかに行くようだったので、気にしてあとについていったら、突然振り返ったその子供の顔が急に5倍ぐらいに大きくなり、眼も三つに変貌したので、きもをつぶした――という展開になっています。
▼雨降小僧
「あめふりこぞう」は、見ひらきにいっしょに描かれている「ひよりぼう」とは気象つながりのもの同士として一対になっていると見られます。こちらが「雨」のお天気。
▼雨のかみを雨師[うし]といふ
「うし」[雨師]は「ふうはく」[風伯]と並んでよく知られた大陸のかみさま。
「雨師風伯」や「風伯雨師」という言い回しは日本の文章でもしばしば用いられて来た熟語ですし、『山海経』(大荒北経)にある黄帝[こうてい]と蚩尤[しゆう]が戦ったときに蚩尤方として参加して暴風雨を起こして暴れていた様子は古くからよく採り上げられます。
『書言字考節用集』(巻3・神祇門)では「あめのかみ」として「雨師」と「玄冥」の字があげられています。
山岡元隣『百物語評判』(1686)にも「雨師風伯の事」(巻4)という項があって、雨や風の仕組みの根本的な「ふしぎ」さは語られており、そのような内容は「妖怪たち」よりもさらに「ごく身近に実際に存在するふしぎなもの」として、いっしょに採り上げられる傾向がありました。
▼雨ふり小僧といへるものは めしつかはるる侍童[じどう]にや
「侍童」は、お仕えする童子のこと。つまり石燕は雨の降るなかをちょこちょこ歩いている子供すがたの妖怪を、雨つながりで「雨師」に仕える子供なのかも知れないネ――と位置づけてたのしんでいるわけです。
実際に、そういう雨降りのなかで人間のまえにすがたを現わす子供すがたの妖怪たちは、多くは「たぬき」や「かわうそ」などが化けている――といった結びつけられ方が多く、特段「雨の神のお使い」と語られていたわけではないので、石燕があそび・落差として設けた填詞[かきいれ]であることはうかがえます。
up.2026.07.08
■雨降小僧
▼蛇の目…じゃのめがさ。唐傘の紙の部分にまるく、◎のかたちが染められているもの
▼高札…文字はよめる用の書き方にはなっておらず、背景としての省略されたものなので何の立て札であるかは証明しづらいのぢゃ
▼木版独自…雨風の表現は「さらかぞえ」だと、ねずみ色の版での白ぬきで表現されているので木版ならではの処理演出になのぢゃ
▼雨師風伯…『百物語評判』(巻4)にも「雨の宮 風の宮など神道にもあがめ候へば」――と出て来るように、日本にも雨の神・風の神はいるのぢゃ
▼山海経…◆『山海経』(大荒北経)曰「蚩尤請風伯雨師 縦大風雨」
▼玄冥…五行のうちの水・冬・北をつかさどる神ぢゃ