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じゃこつばば

鳥山石燕百石乳|今昔百鬼拾遺

じゃこつばば

蛇骨婆

「じゃこつばば」には、『山海経』に出て来る内容も盛り込んだ填詞[かきいれ]が添えられています。

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■ながいにょろにょろを手にして

石燕は、大きな図体のへびを肩にかけている老婆のすがたで「じゃこつばば」を描いています。へびは「じゃこつばば」が縄で首に掛けて、お腹のあたりにさげてかかえている「頭陀袋」のような白い布のふくろに入っているようで、そこから体をにょろにょ出しています。

背景には背の低い灌木と、小さいせせらぎが描き込まれていますが、単に屋外であるということが示されている程度で、具体的な場面設定などはうかがい知れません。

■蛇を持つのは

石燕は「じゃこつばば・じゃこつばばあ」というお芝居によく顔を出す、老婆役に用いられる登場人物の「名前」からデザインをしていると見られます。

歌舞伎で「蛇骨婆」という老婆の役名は、近い年代ですと『鹿大和文章』(1761)や『江戸容儀曳綱坂』(1772)などに登場していますし、その後も、よく知られるところでは『楼門五三桐』にも「蛇骨婆」という役名で、うすぎたない老婆がヤッパリ登場しますから、「妖怪」である以前に、そういう呼び名・ことばとしての「じゃこつばばあ」が安定して存在していたと見るのが自然でしょう。

これら、お芝居に先行して登場している「蛇骨婆」は当然のことながら、大きな蛇をかかえているという要素などはないようなので、石燕の「じゃこつばば」のすがたは、「蛇」という文字が伴うことを「妖怪として」ふくらませたもので、そのための見た目として「蛇つかい」の見世物などを画像要素として加味している部分はあるのかも知れません。

■巫咸人

填詞[かきいれ]のなかで出て来る「巫咸」[ふかん・ぶかん]という国は、『山海経』(海外西経)に出て来る西のほうにある地で、仙薬の知識に長けた巫女たちの住むところだとされています。「海外西経」の本文では、青蛇・赤蛇を持っている巫咸人の「絵」が描かれていた、とあります。

当然のことながら、ただ「へびを持つ」という点から引き寄せて、石燕が落差を生むために添えたダケのものですから、直接の関係は「じゃこつばば」とは一切ありません。

また、『山海経』の後半のほうの本文に見られるすがたかたちの描写は、古代の段階で失われてしまった古図にあった「絵」がどうだったかを説いているものが多く、この巫咸の「青蛇・赤蛇」を手に持つという文言も、単に「絵」についてのもので、国のひとびと全員の平生のすがたについての描写ではない側面があります。

▼蛇骨婆
「じゃこつばば」は、見ひらきにいっしょに描かれている「おしろいばば」とは、先行することばからデザインした老婆な画像妖怪たちとしての一対になっています。

コチラの場合、むさくて生ぐさい格好の老婆でもあります。

▼もろこし 巫咸国[ぶかんこく]は女丑[ぢょちう]の北にあり
『山海経』(海外西経)などにある文を下敷きにしたもの。「海外西経」は西の方角の地域を南から北へと順々に紹介が進んで行くので、必ずまえの文章に出て来たポイントの「北にあり」で位置表示がなされます。

女丑[じょちゅう]というのは、地名ではなくて巫咸国から見て、ひとつ南にある丈夫国[じょうふこく]に生まれた ひとで、「海外西経」の本文には「生而十日炙殺」とあり、あるとき出現した10個の太陽によって、山のうえで炙り殺された――とあります。つまり、その山から見て北の位置が、巫咸国だということです。

▼右の手に青蛇[あほきじゃ]をとり左の手に赤蛇[あかきじゃ]をとる人すめるとぞ
巫咸人についての『山海経』での描写からの言及です。

▼蛇骨婆は此の国の人か
「じゃこつばば」は蛇を持っているから巫咸人かもしれないネ――と石燕は結論づけて設定しています。

おしろいばば」に漢籍由来の「脂粉仙娘」が寄せられているのと同様な処理であって、単なる石燕によるおたのしみ設定でしかないことは、おなじ見ひらきに配置されていることも加えて、よく知れます。

▼或説に云
「また、ある説では……」と石燕はつづけているわけですが、ここから先も同様に戯文としての填詞[かきいれ]がつづきますので、「絵」の完成後に「填詞」として、あとからおたのしみ要素を添えているに過ぎません。

画図百器徒然袋の填詞に見られるような、石燕が独自にデザインした画像妖怪たちについての「絵」と「填詞」の構造関係は、だいぶシッカリこの百鬼拾遺の時点で確率しているとも言えます。

▼蛇塚[へびづか]の蛇五右衛門といへるものの妻[め]なり
「へび」つながりから、「へびづかのじゃごえもん」という名前を、さらに引き寄せています。

コチラも「蛇骨婆」とおなじく、石燕の作品以前から歌舞伎などには出て来ているもので、『江戸男達白柄組』(1744)などに出ている「蛇塚蛇五右衛門」は旗本奴[はたもとやっこ]白柄組[しらつかぐみ]の武士のひとりとして登場しています。

このお芝居は、町奴[まちやっこ]の幡随院長兵衛[ばんずいいんちょうべえ](江戸の町奴の親分)と恋塚門兵衛[こいづかもんべえ](大阪の町奴の親分)の喧嘩が主になって来る世界で、要するに、蛇塚蛇五右衛門は、水野十郎左衛門のような雰囲気なわけで、「妖怪」ではありません。

ごく近く売り出されている笑い噺を集めた版本、『春笑一刻』(1778)のなかの一話にも、「蛇塚蛇五右衛門」は武士の役で登場しています。

また、恋川春町の作だと考察されている『腹京師食物合戦』(1779)も、大食いな「蛇塚の蛇五右衛門」がもりもり摂取した食べ物たちが主役になった物語が展開されていますが、ドレにも「へびづかじゃごえもん」が「へびをつかう妖怪」だといった要素は見られません。

▼よりて蛇五婆[じゃごばば]とよびしを訛[あやま]りて蛇骨婆といふと 未詳
「じゃごえもん」の奥さんで「じゃごばば」と呼んでいたものが転訛して「じゃこつばば」に……といった蛇足なこじつけで、おもしろがらせようとしているわけです。

「未詳」とつけるのは「ももんじい」とおなじことで、受け手にとっても当然「わかりきった」創作であることを明示しているとも言えます。


up.2026.07.26

■蛇骨婆




▼蛇骨…蛇類のホネを意味する「じゃこつ」ということば自体も古くからあり『日葡辞書』のころから確認出来るのぢゃ
▼巫咸…◆『山海経』(海外西経)曰「巫咸国 在女丑北 右手操青蛇 左手操赤蛇」
▼山海経…ここでは逆に『山海経』の名前が提示されておらぬぞ。「しょくいん」や「にんぎょ」とあわせてよく考えるべき箇所ぢゃ
▼古図…古代の段階でコレは失われてしまっているので、実際のところ『山海経』の図は一度完全に滅亡しているのが前提ぢゃ。現在のわれわれがよく見ている「絵」は、残された本文にある文字情報から想像をして、後代に描かれたものでしかないのだぞ



▼女丑…巫咸国が「女丑の北にある」といった記載も、失われてしまった古図に、太陽たちに炙られている女丑(女丑尸・女丑之尸)の「絵」が描かれていたことの名残が残されているからのものぢゃ
▼丈夫国…おとこしか生まれないとされるふしぎな土地。殷の太戊という王様は、臣下の王孟[おうもう]に仙薬を探させるために西域に派遣し、この丈夫・巫咸の地にまで足を運んでいたと『山海経箋疏』などにある註では語られておるぞ
▼生而十日…ここの語釈は、かなりいろいろに分かれているのぢゃ。高馬三良(中国の古典および平凡社ライブラリー)は「女丑が生まれると十個の太陽がこれを炙り殺した」としているが、前野直彬(全釈漢文大成)は「生まれて十日めにあぶり殺された」としていて、こちらの「日」を「太陽」とはよんでいないぞ
▼太陽…古代の神話には、太陽が一挙に10個も登場して、天下がとんでもない爆熱になることがよくあるが、これもその類のひとつぢゃ
▼江戸男達白柄組…外題の表記は江戸男立白柄組とも
▼水野十郎左衛門…旗本奴たちのリーダー。幡随院長兵衛を邸宅に招いて、湯殿で殺してしまう場面はお芝居などでも有名