神代 Ancient era
大和代 Yamato era
平安代 Heian era
鎌倉代 Kamakura era
足利代 Asikaga era
徳川代 Tokugawa era
近代 Modern era
現代 Contenporary
552 | 欽明天皇13年 |
10月、百済の聖明王から、大和朝廷へ仏像、幡蓋、経典を奉ずる。仏教伝来のはじまり。▼日本書紀 | |
相模国で海中から砂が吹き上がり江ノ島が出現。▼江島縁起 | |
564 | 欽明天皇25年 |
駿河国の杉山で蘇我稲目、三本の角の白鹿を狩る。 ▼類聚国史 | |
567 | 欽明天皇28年 |
諸国で大水や飢饉おこる。▼大日本史 | |
571 | 欽明天皇32年 |
豊前国宇佐郡に八幡大菩薩あらわれる。宇佐八幡宮の縁起。▼ | |
577 | 敏達天皇6年 |
百済から呪禁道の知識が伝来す。▼ | |
584 | 敏達天皇13年 |
9月、鹿深臣と佐伯連、百済より仏像をもたらす。蘇我馬子、堂宇を造りこれを拝す。▼大日本史 | |
585 | 敏達天皇14年 |
2月、疫病大いに流行る。▼大日本史、水鏡 | |
3月1日、物部守屋、仏法の興りが疫病の端であると奏上。仏像塔殿を焼却す。▼大日本史、水鏡 ●「守屋みづから寺に行きむかひて堂をきりたふし仏像を破りうしなひ火をつけて焼き尼の着るものを剥ぎしもとをもちて打ちし程に空に雲なくして大きに雨ふり風吹きき御門も守屋も忽ちに瘡をわづらひ天下に瘡おこりて命をうしなふ者数を知らず」(『水鏡』) | |
587 | 崇峻天皇元年 |
3月、百済から仏舎利を献ず。僧、寺工、鑢盤工、瓦工、画工来る。▼大日本史 | |
593 | 推古天皇元年 |
4月10日、聖徳太子、摂政となる。▼大日本史 | |
594 | 推古天皇2年 |
群臣、こぞって寺を建てる。▼大日本史 | |
598 | 推古天皇6年 |
聖徳太子に甲斐国から脚の白い黒駒を献上する。 ▼水鏡 ●「我この馬に乗りて富士の嶽に至りて信濃国へ伝はりてかへり来れり」(『水鏡』) | |
601 | 推古天皇9年 |
3月、聖徳太子がひとびとに商売の術を教える。えびす様のはじまり。▼『商売往来絵字引』2編「推古天皇九年辛酉三月。聖徳太子始て商売の術を諸人に教へ。蛭児神を商売の鎮護神と崇め玉ふ。即ち西宮の恵比寿の社これなり」(1864年) | |
626 | 推古天皇34年 |
6月に雪が降る。▼日本書紀 | |
3月から7月まで霖雨(ひさめ)つづきで天下に飢饉。▼日本書紀 | |
627 | 推古天皇35年 |
2月、陸奥国で狢が人に化けてうたう。▼日本書紀 | |
5月、蝿のむれが凝り累っておおぞらに浮かぶ。上野国まで飛んで散り去った。▼日本書紀 ●蝿凝累 | |
644 | 皇極天皇3年 |
大伴長徳、連理の百合を献ず。▼大日本史 | |
11月、蘇我蝦夷・入鹿の親子、内裏のように広大な「いかめしき家」を建造する。▼水鏡 | |
650 | 白雉元年 |
653 | 白雉4年 |
道昭、唐の国に渡る。三蔵法師などに学ぶ。▼続日本紀 | |
657 | 斉明天皇2年 |
中臣鎌足、病気になる。百済国から渡来した尼・法明(ほうみょう)が維摩経をつかって祈祷をして治癒する。▼水鏡 | |
666 | 天智天皇5年 |
智由が「指南車」を舶来し大和朝廷に献上。▼ | |
671 | 天智天皇10年 |
12月3日、天智天皇、林の中で消える。沓のみが落ちていた。▼水鏡 | |
讃岐国山田郡で「四足鶏子」が生まれた。▼日本書記 | |
672 | 天武天皇元年 |
この年を白鳳元年としたりもする。▼ (→持統天皇の御宇も) | |
673 | 天武天皇2年 |
3月、備後国亀石郡より白雉を献ずる。同郡の税を免じる。▼日本書紀 | |
675 | 天武天皇4年 |
正月、大和国より瑞鶏、東国より白鷹、近江国より白鵄を献ずる。▼日本書紀 | |
2月、大和、河内、摂津、山城、播磨、淡路、丹波、但馬、近江、若狹、伊勢、美濃、尾張国などからのどじまんの百姓の男女および侏儒伎人を集めるお触れが出る。▼日本書紀 | |
676 | 天武天皇5年 |
2月、大和国より瑞鶏を献ずる。海石榴の花のようなとさか。▼日本書紀 | |
2月、大和国で雌鶏が雄に変化する。▼日本書紀 | |
677 | 天武天皇6年 |
11月、大宰府より赤烏を献ずる。▼日本書紀 | |
678 | 天武天皇7年 |
9月、忍海造能麻呂より瑞稲5茎を献ずる。▼日本書紀 | |
10月、難波で空から綿のようなものが降る。甘露が降ってきたなどと人々のうわさ。▼日本書紀 | |
679 | 天武天皇8年 |
6月1日、桃の種くらいの大きさの氷が降る。▼日本書紀 | |
この年、紀伊国より芝草、因幡国より瑞稲を献ずる。▼日本書紀 | |
680 | 天武天皇9年 |
2月、葛城山で2本がつながった鹿のつのがみつかる。▼日本書紀 | |
3月、摂津国より白巫鳥を献ずる。▼日本書紀 | |
5月辛亥、灰が降る。▼日本書紀 | |
681 | 天武天皇10年 |
8月、伊勢国より白茅鵄を献ずる。▼日本書紀 | |
9月、周防国より赤亀を献ずる。▼日本書紀 | |
682 | 天武天皇11年 |
4月、男女ことごとく結髪をせよとの詔。▼日本書紀 | |
8月、潅頂幡のようなものが光りながら北の空へ飛んでゆく。▼日本書紀 | |
8月、大宰府で三足雀がみられる。▼日本書紀 | |
683 | 天武天皇12年 |
正月、大宰府より三本雀を献ずる。▼日本書紀 | |
684 | 天武天皇13年 |
10月14日、大地震。▼日本書記 | |
685 | 天武天皇14年 |
3月、信濃国に灰が降り草木みな枯れる。▼日本書紀 | |
686 | 朱鳥元年 |
この年、蛇犬相交。俄而倶死。▼日本書紀 | |
687 | 持統天皇元年 |
持統天皇の御宇に白鳳が大陸から飛来して白鳳という元号がつけられたとも語られている。▼體源鈔 (→天武天皇元年(672)も) | |
689 | 持統天皇3年 |
8月、讃岐国御城郡で白燕がとれる。▼日本書紀 | |
12月、双六が禁断とされる。▼日本書紀 | |
692 | 持統天皇6年 |
5月、相模国御浦郡より赤烏2匹を献ずる。▼日本書紀 | |
9月、伊勢国より嘉禾2本、越前国より白蛾を献ずる。▼日本書紀 | |
693 | 持統天皇7年 |
3月、天下勧殖の詔くだる。桑紵、梨栗、蕪菁などの草木を以て五穀を助けよとの増産命令。▼日本書紀 | |
694 | 持統天皇8年 |
6月、河内国更荒郡より白山鶏を献ずる。▼日本書紀 | |
10月、白蝙蝠がとれる。▼日本書紀 | |
698 | 文武天皇元年 |
9月、京の大神大綱造百足の家に生えた嘉禾、近江国から白鼈、丹波国から白鹿を献ず。▼続日本紀 | |
698 | 文武天皇2年 |
正月、土佐国から牛黄(ごおう)を献ず。▼続日本紀 | |
4月、芳野の水分(みくまり)峯の神に馬を奉りて祈雨。▼続日本紀 | |
5月、諸国に日照り。諸社に幣帛を奉る。▼続日本紀 | |
6月、諸社に馬を奉りて祈雨。▼続日本紀 | |
7月、下野国と備前国から赤烏を献ず。▼続日本紀 | |
9月、下総国に大風。▼続日本紀 | |
11月、諸国で大祓。▼続日本紀 | |
11月、下総国から牛黄(ごおう)を献ず。▼続日本紀 | |
699 | 文武天皇3年 |
3月、河内国から白鳩を献ず。詔じて錦部郡一年の租役を免ず。▼続日本紀 | |
5月、役小角を伊豆島に流罪す。▼続日本紀 | |
7月、種子島や奄美大島など南島のつかいが来貢。南島献物。献上された品は8月に伊勢神宮など諸社にも奉られた。▼続日本紀 | |
8月、伊予国から白燕を献ず。▼続日本紀 | |
700 | 文武天皇4年 |
3月、道昭和尚歿。栗原において火葬される。本朝火葬のはじまり。しかし骨をあつめようとしたところ飄風がたちまち起こって灰と骨を持ち去ってしまったという。▼続日本紀 | |
3月、諸国で牛馬の牧地がさだめられる。▼続日本紀 | |
8月、畝傍や吉野の山で樹木が凋枯する。▼続日本紀 | |
8月、長門国から白亀を献ず。▼続日本紀 | |
10月、新羅から孔雀などを献ず。▼続日本紀 | |
11月、各地に盗賊が横行。▼続日本紀 | |
701 | 大宝元年 |
『大宝律令』が布かれる。▼続日本紀 | |
正月1日、宮中に日月青竜朱雀白虎玄武の旗を立てる。▼続日本紀、扶桑皇統記 | |
正月、大学寮にて孔子を祀る。日本での聖堂のはじまり。▼扶桑皇統記 | |
6月、雨が降らず四畿で祈雨がおこなわれる。▼続日本紀 | |
8月、三河、遠江、相模、近江、信濃、越前、佐渡、但馬、伯耆、出雲、備前、安芸、周防、長門、紀伊、讃岐、伊予国で蝗害。▼続日本紀 | |
702 | 大宝2年 |
3月、因幡、伯耆、隠岐国で蝗害。▼続日本紀 | |
10月、近江国より嘉禾を献ず。▼続日本紀 | |
12月戊戌、昼に星が見える。▼続日本紀 | |
12月、美濃国に木曽山道はじめてひらく。▼続日本紀 | |
703 | 大宝3年 |
7月、近江国で山がみずから焼ける。祈雨をした。▼続日本紀 | |
704 | 慶雲元年 |
西の空に五色の雲たなびく。これを瑞祥として「慶雲」と改元。▼扶桑皇統記 | |
この年、諸国に疫病はやる。病臥死亡多し。▼扶桑皇統記 | |
6月、阿波国より木連理を献ずる。▼続日本紀 | |
7月、左京職より白燕を献ずる。下総国より白烏を献ず。▼続日本紀 | |
8月、伊勢、伊賀国で蝗害。▼続日本紀 | |
11月、忌部宿祢子首、幣帛と鳳凰鏡を供ずる。▼▼続日本紀 | |
12月、宮中にて疫病を祓うため追儺を行う。我が国での追儺のはじまり。▼扶桑皇統記 | |
705 | 慶雲2年 |
9月、越前国より赤烏を献ずる。▼続日本紀 | |
12月、女性は神に仕える者と老婆以外みな髻髪せよと天下に令す。▼続日本紀 | |
706 | 慶雲3年 |
7月、周防国より白鹿を献ずる。▼続日本紀 | |
708 | 慶雲5年、和銅元年 |
1月、武蔵国から銅を献ずる。これを叡感して「和銅」と改元。▼扶桑皇統記 | |
5月、長門国に甘露ふる。▼続日本紀 | |
8月、和銅開珎を鋳造する。鋳銭の濫觴。▼扶桑皇統記 | |
709 | 和銅2年 |
10月、平城京の造営の勅くだる。祭をおこなって幽魂を慰む。▼続日本紀 | |
710 | 和銅3年 |
3月10日、大和国平城京に遷都す。▼大日本史 | |
711 | 和銅4年 |
1月2日、はじめて亭駅を敷く。駅のはじまり。▼大日本史 | |
2月7日、稲荷山にうかのみたまが鎮座する。午の日であったことから「初午」の起源とされる。▼山城国風土記(逸文) | |
712 | 和銅5年 |
▼太安麻呂 『古事記』 | |
3月、美濃国より連理木と白雁を献ずる。▼続日本紀 | |
7月、伊賀国より玄狐を献ず。▼続日本紀 | |
713 | 和銅6年 |
正月、備前国より白鳩を献ずる。伯耆国より嘉瓜を献ずる。左京職より稗が稲に化した一茎を献ずる。▼続日本紀 | |
5月2日、各地の郡郷へ名には佳字を用いるべしと命ず。▼大日本史 | |
12月、近江国で慶雲が見られる。▼続日本紀 | |
12月、丹波国のより白雉を献ずる。▼続日本紀 | |
元明天皇、畿内七道の諸国へ命じ『風土記』を編纂さす。▼続日本紀 | |
近江国より木連理12株を献ず。▼大日本史 | |
714 | 和銅7年 |
布1反を2丈6尺に定む。▼扶桑皇統記 | |
715 | 和銅8年、霊亀元年 |
正月、遠江国から白狐、丹波国から白鳩を献ず。▼大日本史 | |
5月、伯耆国に甘露ふる。▼続日本紀 | |
9月2日、瑞亀をとらせ、これをに因みて「霊亀」と改元す。▼大日本史 | |
春から夏にかけ諸国に日照り。社寺宮中にて大いに雨を祈る。▼大日本史 | |
718 | 養老2年 |
越前国から能登国、上総国から安房国、常陸国から石城国が分割。▼続日本紀 | |
720 | 養老4年 |
正月1日、大宰府から白鳩を献ずる。▼続日本紀 | |
2月戊戌、夜に地が動く。▼続日本紀 | |
▼舎人親王『日本書紀』 ●『続日本紀』にある日本紀完成の奏上記述から | |
721 | 養老5年 |
正月、武蔵国と上野国から赤烏、甲斐国から白狐を献ず。▼続日本紀 | |
正月、尾張国で小鳥が大鳥を生む。▼続日本紀 | |
2月、大蔵省の倉が自ら鳴り声を発す。▼続日本紀 | |
信濃国の一部を分け諏方国が置かれる。▼続日本紀 | |
725 | 神亀2年 |
正月1日、山城、備前国から白燕を1羽ずつ献ずる。▼続日本紀 | |
6月癸酉、太白星が昼に見える。▼続日本紀 | |
726 | 神亀3年 |
正月1日、京職から白鼠、大和国から白亀を献ずる。▼続日本紀 | |
727 | 神亀4年 |
正月、左京職から白雀、河内国から嘉禾を献ずる。▼続日本紀 | |
5月、南苑の樹2株、風に吹かれて雉となる。▼続日本紀 | |
729 | 天平元年 |
6月、左京職より「天王貴平知百年」の字を背に持つ亀を献ずる。▼続日本紀 | |
730 | 天平2年 |
4月、光明皇后が施薬院を建てさせる。▼続日本紀 | |
6月、神祇官に落雷。▼続日本紀 | |
この年、安芸、周防の国で妖祠死魂をまつるのがはやる。▼続日本紀 | |
731 | 天平3年 |
諏方国廃され、信濃国に復す。▼続日本紀 | |
732 | 天平4年 |
正月1日、左京職より白雀を献ずる。▼続日本紀 | |
733 | 天平5年 |
正月、越前国から白鳥を献ず。▼続日本紀 | |
734 | 天平6年 |
正月1日、但馬、安芸、長門国から連理木を献ず。▼続日本紀 | |
735 | 天平7年 |
8月、天然痘はじめて伝わる、冬にかけて天下に夭死多し。▼続日本紀 | |
739 | 天平11年 |
正月1日、出雲国より赤烏、越中国より白烏を献ずる。▼続日本紀 | |
740 | 天平12年 |
正月、飛騨国より白狐と白雉を献ず。▼続日本紀 | |
741 | 天平13年 |
閏3月、内裏に狐の生首。▼続日本紀 | |
742 | 天平14年 |
正月、陸奥国で紅雪ふる。▼続日本紀 | |
6月戊寅、京で夜に空から飯が降る。▼続日本紀 | |
745 | 天平17年 |
10月、両目の赤い白亀が見つかる。▼続日本紀 | |
749 | 天平感宝元年、天平勝宝元年 |
2月、下総国に蝗害。▼続日本紀 | |
757 | 天平宝字元年 |
駿河国川鍋村より蚕が紙の上に「天皇命百年」などの文字を造りたるを献ず。▼続日本紀 | |
天に「天下太平」の文字が現われる。▼年代記絵抄 | |
768 | 神護景雲2年 |
春日大社の造営に際して橘島田丸、99体の人形に工事を手伝わせ施工後川へ打ち捨てる。ひょうすべのはじまり。▼北肥戦志 | |
772 | 宝亀2年 |
6月、大安寺講堂の屋根のうえに野狐がすわってた。▼続日本紀 | |
774 | 宝亀4年 |
12月、山城国乙訓郡乙訓社で野狐100匹ぐらいが7日間毎夜吠え鳴く。▼続日本紀 | |
782 | 天応2年 |
3月、美作国苫田郡の兵庫が鳴動す。その響き雷電のごとし。また伊勢国鈴鹿の関の太皷もひとりでに三声鳴る。▼続日本紀 | |
5月、伊勢国鈴鹿の関の城門や守屋が鳴る。その声は木衝のよう。▼続日本紀 | |
7月、富士山のふもとで灰が降る。灰を受けた樹木はしおれる。▼続日本紀 | |
7月、河内国の尺度(さかど)池の水が血のように赤くなる。においもはなはだなまぐさし。▼続日本紀 | |
11月、近江国に連理の木。▼続日本紀 | |
783 | 延暦元年 |
2月、空中に声あり雷のごとし。▼続日本紀 ●如雷声 | |
3月、虹あり日を繞えり。▼続日本紀 | |
3月、武蔵、淡路、土佐国などで飢饉。▼続日本紀 | |
4月、重閣門で白狐が見られる。▼続日本紀 | |
7月、右大臣や参議たち、災異妖徴や除凶就吉について語る。▼続日本紀 | |
11月、円い虹に似た形のひかりが日を挟む。▼続日本紀 | |
784 | 延暦2年 |
陰陽頭栄井宿祢蓑麻呂、80歳になる。みかどから祝いとして衣や米塩を下賜。▼続日本紀 | |
785 | 延暦3年 |
5月、摂津国で2万匹ばかりの蝦蟇が街を歩いて池に向かった。▼続日本紀 | |
5月、山城国乙訓郡長岡村が遷都先としてえらばれる。▼続日本紀 | |
9月、京で大雨、おおくの家が壊る。▼続日本紀 | |
9月、太白が昼に見える。▼続日本紀 |