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鬼質時代とは

徳川代 Tokugawa era

1603慶長8年
江戸に日本橋かかる。武江年表
1604慶長9年
諸国へ通じる街道へ一里塚がつくられる。武江年表
1604慶長11年
諸国で竹が実を結び枯れる。武江年表
1605慶長12年
諸国で煙草をのむのが弘まる。武江年表
関白近衛信尹、関東下向。江戸の梅若寺を木母寺と改む。武江年表
1606慶長14年
3月4日、方形の月が出る。武江年表
1610慶長15年
戸叶徳作盛信『針治諸虫論図』
1613慶長18年
9月21日、浄瑠璃の『阿弥陀胸割』が後陽成院の御所にて奏じられた。『時慶卿記』
1615元和元年
江戸に太田姫稲荷建立される。武江年表
(元和年間)土佐国の蛙崎浜で阿羅魚が数十枚とれる。『広大和本草』
1616元和2年
江戸の神田明神、神田橋から湯島へうつる。武江年表
麻疹はやる。武江年表
1617元和3年
11月、江戸に吉原遊郭が出来る。武江年表
1619元和5年
下総国印旛郡萱田で、太田道灌が埋めたらしい十一面観音像が白狐のお告げでみつかり、飯綱神社が造られる。飯綱神社の由来
1622元和8年
5月から8月、諸国日照り。人馬多く死す。武江年表
1624寛永元年
10月15日、江戸小塚原の熊野権現の扉に「竜王」の字が浮かび出る。武江年表
1628寛永5年
江戸で辻斬り続発。武江年表
1630寛永7年
12月23日、大地震。戌の刻に光り物がすさまじい音を立てて飛ぶ。武江年表
諸国で皮癬はやる。(翌年も)武江年表
1631寛永8年
3月19日、江戸に灰降る。武江年表
10月、灰降る。武江年表
10月17日、江戸の上野山に佐久間大膳亮が大きな大きな石灯篭を奉納する。武江年表
1634寛永11年
8月8日、虫歯に苦しんでいたおさんの方という大名の奥方、「虫歯を憂うもの、吾を祈らば霊験あるべし」と遺言して亡くなる。武江年表
1635寛永12年
7月、空が焼けるように赤くなる。武江年表
1636寛永13年
キリストワン・ヘレイラ(沢野忠庵)『顕偽録』
1640寛永17年
4月から8月、諸国で牛が多く死す。武江年表
秋、肥後国八代郡で「さねもり」という虫が大発生。虫追いをおこなう。八代郡誌
1645正保2年
3月15日、月が丹のごとく赤くなる。武江年表
1646正保3年
正月、『諏訪本地兼家』(浄瑠璃)
2月、『よりまさ』(浄瑠璃) ●源頼政をあつかったもの、「ぬえ」が登場する。形状はすでに現行のもの(猿・虎・蛇によって構成されている)で描かれている。
1647正保4年
5月13日、江戸で大地震。上野山の大仏も大破。武江年表
7月22日、梅の実ぐらいの氷降る。武江年表
『阿弥陀胸割』(浄瑠璃) → 1613年、1721年
1648慶安元年
幕府、若衆狂することを禁止する。武江年表
1649慶安2年
麻疹はやる。武江年表
1650慶安3年
6月4日、諸国に毛降る。武江年表
6月、『とうだいき』(浄瑠璃) ●灯台鬼。「れんし」という天竺の武将が敵国に囚われて鬼とされる。
1653承応2年
1月2日、江戸牛込の青山家で秘蔵の皿を割ったかどで腰元お菊斬られる。番町皿屋敷の一説。武江年表
1656明暦2年
1月23日、西の空に赤雲でる。武江年表
6月、西の空に2本の竿のような赤気でる。武江年表
1658万治元年
江戸、今戸村の百姓九郎助、畑にあった稲荷を吉原にうつす。吉原の九郎助稲荷のはじまり。武江年表
この頃、酒楽という座頭、八人芸ではやる。武江年表
1660万治3年
8月、『酒典童子若壮』(浄瑠璃) ●酒呑童子の少年のころ(悪童丸と呼ばれてた時代)を主に描いたもの。
1661寛文元年
1月19日、夜に光り物が飛ぶ。一天昼の如し。武江年表
1663寛文3年
『酒顛童子』(浄瑠璃)
1664寛文4年
けんどん蕎麦切り売りはじめる。武江年表
1666寛文6年
3月26日、人の形の光り物とぶ。武江年表
1668寛文8年
1月28日、竿のような白気でる。武江年表
3月、町人が帯刀するを禁ずる。武江年表
1669寛文9年
3月3日、流星とぶ。音雷の如し。武江年表
1670寛文10年
5月12日、炭のごとくなるもの降る。手に取りて見れば砂の如し。武江年表
1671寛文11年
『仙人竜王威勢諍』
1610寛文12年
『天地麗気記』
1674延宝2年
2月26日、空に橋をかけた如くに黒雲、東西にたなびく。武江年表
江戸深川に風羅坊、芭蕉庵を建てる。武江年表
1678延宝6年
2月、『信田妻』(浄瑠璃)
このころ、江戸の堺町でろくろ首の女の見世物あり。飛花落葉、朝倉無声「見世物年代記」
1679延宝7年
『初庚申楽遊』(浄瑠璃)
1680延宝8年
6月、越後国と越後国で紅雪ふる。私家農業談
このころ、都右近の幻戯が評判。山芋をうなぎに変えたり、絵から雀を抜け出させたりする術をつかった。玉露叢、『図説庶民芸能 江戸の見世物』
1684貞享元年
このころ、江戸で長崎水右衛門、犬や猿に烏帽子狩衣を着せて演技をさせる見世物を行なう。江戸鹿子、好色二代男
1685貞享2年
2月22日、流星とぶ。音雷の如し。武江年表
『宗祇諸国物語』
1686貞享3年
山岡元隣『諸国百物語評判』
1687貞享4年
10月、上様より生類憐之儀だされる
10月24日、薬売りの蛇使いや獣をつかった見世物が禁じられる。享保集成
俳林子『御伽比丘尼』(1692に『諸国新百物語』に改題)
1689元禄2年
1月16日、老人星みえる。武江年表
10月、婚姻のときの水あびせを禁ずる。武江年表
1691元禄4年
正月、江戸に湯島聖堂できる。武江年表
4月、麻疹はやる。武江年表
1693元禄6年
夏、馬がしゃべって疫病がはやると予言したという噂ひろまる。幕府によって取り締まられる。武江年表
1694元禄7年
1月8日、狩野洞雲益信、歿。武江年表
1696元禄9年
『日本大化物』
江戸に永代橋かけはじめる。(元禄11年8月1日に往来可能になる)武江年表
1697元禄10年
『雨中友』(1751に『万世百物語』に改題)
1699元禄12年
4月4日、役小角1000年忌。武江年表
8月、要法寺の池に並頭の蓮が咲く。閑窓自語
1701元禄14年
正月1日、江戸の大河内家の屋敷門前に女の生首が置かれていたのが見つかる。首級得るは武門の祥瑞とてこれをまつる。(高尾の社のはじまり)武江年表
1702元禄15年
4月、江戸の高田馬場の稲荷の榎樹から霊泉でる。水稲荷のはじまり。武江年表
1705宝永2年
12月、件がでた。翌年は豊年だったらしい。(天保7年の瓦版)、『かわら版物語』
『泰平記姫ヶ城』市村座。●鎌田又八とおさかべ姫。山中平九郎が鬼女の顔をくふうしたはなしで有名。『歌舞妓年代記』
1706宝永3年
正月、大阪の嵐三右衛門座で八百屋お七をはじめて歌舞伎狂言に出す。●嵐喜代三のお七はその後もあたり役として大評判であり、彼の紋であった「封じ文」はお七の紋として後の世にも使われつづける。『歌舞妓年代記』
瀬崎三艘軒『三国塵滴問答』 応声虫など
1708宝永5年
このころ、地蔵坊正元という人物が江戸の各地に6つの地蔵菩薩を建立した。俗称を吉三郎といったということから「吉三道心」と呼ばれる。八百屋お七の菩提をとむらうためだ、などと噂された。(お七の27回忌にあたるため)『歌舞妓年代記』
『けいせい嵐曽我』中村座。●吉三道心を採り入れて、吉三郎という寺小姓を八百屋お七の想いびととして津打治兵衛(狂言作者)が設定した。大阪の嵐三右衛門座で八百屋お七をつとめた嵐喜代三が江戸の中村座でお七をつとめた。『歌舞妓年代記』
1709宝永6年
琉球で大飢饉。うしどしの大飢饉。
1721享保6年
『阿弥陀胸割』(浄瑠璃・六段本) → 1613年、1647年
1724享保9年
『松飾鎌倉開』中村座。●鍾馗 vs こくり。『歌舞妓年代記』
1736元文元年
(元文年間)伊勢国の海浜に習々魚が生ずる。『広大和本草』(習は魚偏がつきます)
1737元文2年
佐脇嵩之『百怪図巻』
◆狩野妖怪絵巻
1744延享元年
『妖怪図巻』(徳川様のもの)
◆狩野妖怪絵巻
1745延享2年
中山栄親、調度品が動いたり飛び上がったり、雛人形がひとの如くわらう怪異に遭う。閑窓自語
1747延享4年
竹田出雲・三好松洛・並木千柳『義経千本桜』
1757宝暦7年
比叡山の竹林院にある「ひらかざる間」の中を権右中弁敬明、家人にのぞかす。翌年3月やみついて身まかりぬ。閑窓自語
1762宝暦12年
東寺の池に並頭の蓮が咲く。不吉として片枝を切る。閑窓自語
南谷先生『姫国山海録』
1763宝暦13年
11月、後桜町天皇即位の日、南殿の上に白いからす出る。閑窓自語
1767明和4年
高古堂『新説百物語』
1774安永3年
石燕『石燕画譜』●妖怪を主題とする前の石燕の絵本。鍾馗、竜虎などの画題もある。
1775安永4年
伊勢国鈴鹿郡高宮で脚にみずかきのある異獣を捕殺。旅人によると「風狸」であると語られた。和訓栞(たぬき)
鈴木素絢『狂画苑』 ●土佐行秀の百鬼夜行絵巻の図様が載る。
◆土佐妖怪絵巻
1776安永5年
石燕『画図百鬼夜行』●鳥山石燕豊房による絵本。狩野家の妖怪絵巻に描かれてきたものを描いている。
◆狩野妖怪絵巻
1777安永6年
陸奥国津軽で甘露が降る。津軽俗後拾遺
1779安永8年
石燕『今昔続百鬼』
『吾嬬森栄楠』市村座 女三宮の唐猫の亡霊が登場。
1781安永10年
石燕『今昔百鬼拾遺』
1784天明4年
石燕『百器徒然袋』
石燕『通俗画図勢勇談』●『西遊記』をあつかったもの。志水燕十が文を書く。『西遊記』全体から見ると序段のみで、続稿も構想としては存在したと考えられる。
1785天明5年
如意ヶ岳に大きな黒い鳥みらる。いかなる鳥か弁え難し。閑窓自語
1788天明8年
北尾政美『夭怪着到牒』
1790寛政2年
11月、江戸城の吹上のお庭に甘露ふる。視聴草
勝川春英、春章『異魔話武可誌』(『いまはむかし』)(1802に十返舎一九の文を加え『列国怪談聞書帖』に改版)●勝川春英による絵本。春章は補助。
1795寛政7年
2月20日、烏丸の人家にふしぎなつぶてが打ち込まれる。閑窓自語
2月21日、青蓮院宮に仕える武士ひとり天狗にさらわる。24日に帰る。閑窓自語
7月、典侍の尼の屋敷の池に並頭の蓮が咲く。閑窓自語
8月、内裏に夜な夜な犬の吠ゆるような怪鳥の声。かたち定かならず。よろしからぬこと。閑窓自語
1798寛政10年
山東京伝・北斎『化物和本草』
華誘居士『遠山奇談』(『遠山奇談後編』→1801年)
1800寛政12年
十返舎一九『運次第出雲縁組』
1801享和元年
深川の泉養寺に並頭の蓮が咲く。翌日に大水。嬉遊笑覧
春暁斎『絵本小夜時雨』
1802享和2年
十返舎一九『美男狸金箔』
1803享和3年
十返舎一九『怪物輿論』
1804文化元年
春から、福助の人形、張子、一枚刷りなどが江戸で流行る。街談文々集要
2月、江戸の立花家下屋敷にある太郎稲荷が奇瑞あるといって流行る。街談文々集要
7月、江戸の松平讃岐守の上屋敷にある火の見櫓に猫の化物が出たという噂。街談文々集要
十返舎一九『化物太平記』 ●『太閤記』を意識したあてこみであり、幕府から処分がくだった。『浮世絵画人伝』、『筆禍史』
1805文化2年
5月、越中国で怪魚を捕える。(惣丈)3丈5寸(顔)3尺(髪)1丈4尺(脇鰭)6尺余(背)薄赤(腹)火の如し。彩色摺の一枚物などが売られる。街談文々集要 ――神社姫を模した虚談か
6月ころ、上野国新舞村の幸助という者の家の庭の椿の枝に手のごときものが出る。街談文々集要
1806文化3年
山東京伝『善知鳥安方忠義伝』
1807文化4年
2月、江戸の市村座につかわれた大梁の材木が夜な夜なうめく。天愚孔平が「隠隠啼哭 無益招魂 般云佐戯 尚享頻繁」という詩をしたためて貼った所、うめくのをやめたという噂。街談文々集要 天愚孔平は後年「千社札貼り」の元祖と謂われた人物。
9月3日酉の刻、江戸で空の東北から南に向かって光り物とぶ。大きさ鞠のごとくぱっと一面明るくなりたり。街談文々集要
江戸千住で蝶の大群による合戦があった。街談文々集要
1808文化5年
4月20日、江戸下谷の小島富太郎の家の幼い下女に髪切の怪異。髪にねばりけなどは出なかった。街談文々集要
6月、江戸小石川の伝通院に大蛇が出て犬などが飲まれたという噂。街談文々集要
7月17日、江戸本郷の伊勢屋(薬種商)店先に出た大狐を殺す。王子稲荷の祟りがあるのではないかとも噂で言われたが特に何もさわりは無かった。街談文々集要
9月3日、江戸神田あたりの家々の戸に「明四日湯に入べからず悪疾をうくる 諸人のたすけのためにこれをしらしむ」とのふしぎな貼紙が出て、翌日は各湯屋が休んだり客入りが悪かったりした。街談文々集要
1809文化6年
春、江戸神田紺屋町三丁目代地の海老床(髪結床)の脇の土蔵のところに夜な夜な陰火がでるという噂。見物人が多く出て西瓜売りや冷や水売りの露店まで並ぶ騒ぎに。街談文々集要
冬、越後国高田のあたりで紅雪ふる。中陵漫録
冬、江戸でも大雪。青菜1把50文が雪の影響で100〜124文に。赤良「降雪に江戸も越後となりにけりうす着のものは縮おるかな」街談文々集要
4世鶴屋南北『阿国御前化粧鏡』森田座。
1810文化7年
4月7日、江戸浅草の堀田原筑後守の屋敷の屋根に腐乱した溺死体が落ちて来る。「もしや火車か」と語られた。街談文々集要
5月端午節句、江戸小日向水道橋の武士・山田伝吉が食べてた赤貝をひらいて料理しようとしてたとき、1つの貝の中から自然の陽石が出て来た。「陰陽和合である」として秘蔵しけるよし。街談文々集要
5月26日、武蔵国足立郡利根川あたりの百姓・金右衛門の土地から、地中に埋まってた蛇のような石から、異形の筍が生えてたということが知れる。街談文々集要
5月ころ、江戸錦糸堀のあたり両頭亀がみつかる。しっぽの下に顔がある。大金で買いたいという人が何人か出た。街談文々集要
6月8日、江戸田所町の紺屋のうらで人面犬(人面狗)うまれる。のちに見世物としてひとり木戸銭12文で見せたが何日が後には死んでしまった。街談文々集要
10月、江戸吉原の中万字屋のおかみさんに虐げられて死んだ遊女、幽霊となって出る。首に鍋をかけて出た。街談文々集要
11月、田安家の御馬役・高木久八が病死してすぐに甦生した。冥界から帰って来たことを覚えてた。街談文々集要
12月、加賀藩の御留守居役・泉淵忠左衛門が夢で本郷4丁目の麹屋の裏の稲荷の狐がみせた霊夢をみる。街談文々集要
12月、まぐろが大豊漁。蜀山人「一日に何万本の大鮪としの尾ひれやふりまはすらん」街談文々集要
江戸小石川、塚本理太夫というひとが借りた家にあったつぶれた稲荷のほこらを焚きつけに使ったところ、大入道が出たり、火のついた炭団がおどったり、煙草盆などが天井にのぼったり、下駄が座敷をころころ転がったりと怪異がどしどし起きた。街談文々集要
1811文化8年
1812文化9年
8月、薩摩国の竹島に鼠の大群が上陸。7〜8年も島に存在した。「大なる者は、尾まで一尺六寸許の者もあり」三国名勝図会 巻28「群鼠の災」
1814文化11年
菊細工の流行が頂上に達する。道成寺や竜宮入などの造り菊も。巣鴨名産菊の栞
1817文化14年
薩摩国の黒島に鼠の大群が上陸。三国名勝図会 巻28「群鼠の災」
1819文政2年
肥前国に神社姫という竜宮からの使者現われ予言をなす我衣
1820文政3年
9月12日、四万十川で総身に毛がありとろとろした猿のごとき獣 、網にかかる。三安漫筆
1824文政7年
水野出羽守忠成、将軍家日光参拝にあたり日光山の天狗と魔神に立ち退きせよとの高札を示す。天狗立退令写
曲亭馬琴『殺生石後日怪談』
1827文政10年
このころ(?)常陸国筑波山のふもとの村で親不孝な息子につのが生え、娘の毛ささらの如く切れ落ちる。摂陽奇観(大阪での瓦版、ただし虚説)
4世鶴屋南北『独道五十三駅』
1829文政12年
越中国立山にくたべが現れ予言をなす。道聴塗説
1832天保3年
尾田郷澄『百鬼夜行絵巻』
1833天保4年
江戸、馬喰町の恵比寿寿司でまぐろのすしが売られ始める。
1834天保5年
5月7日、藤屋甚左衛門の女房およねの生んだ男児が「今年より三年の間豊作々々」としゃべる。(瓦版)
6月19日、江戸に空から白い毛ふる。遊芸園随筆
1836天保7年
12月、丹波国の倉橋山に件がでた。豊年のしるしと言われる。(瓦版)、『かわら版物語』
1840天保11年
4月、出羽国の巳の吉、犬を殺した罰が当り挙動が犬のごとくなる。犬の霊ふしぎの次第(瓦版)
1841天保12年
2月、関口水道町の古道具屋の男へ嫁入りした女、じつは正体はきつね。(瓦版)、『かわら版物語』
桃山人(桃花山人)『絵本百物語』(内題 桃山人夜話)←1831年『絵本怪談揃』の改題か。
1843天保14年
国芳『源頼光公館土蜘作妖怪図』
貞秀『源頼光公館土蜘作妖怪図』 国芳の錦絵の偽版。12月26日にこちらは奉行所から正式に処罰されている。●樋口ふたばの文では、偽版の作として『源朝臣報之闇会鬼』、『源朝臣館之図会鬼』という外題のものもあったとの記述がある。
1844弘化元年
廃れていた菊細工が復活する。日蓮祖師御難や蒙古退治などが巣鴨霊感院の御会式にあわせて飾られる。武江年表
1845弘化2年
5月15日、江戸不忍池に白亀が奉納される。清水屋版『下谷不忍池白亀』
1846弘化3年
肥後国にあまびえ出て予言をする。(瓦版)、『かわら版物語』
1847弘化4年
3月6日、江戸内藤新宿の大宗寺の閻魔像の目の玉が盗まれた事件が話題に。刷物や錦絵も出る。『藤岡屋日記』
とてつる拳(「酒は拳酒色しなは……」)流行る。『藤岡屋日記』
3月24日、信濃国で大地震。『藤岡屋日記』
9月16日夜、信濃国で白い小蝶が雪のようにつもるほど降る。翌朝には消えた。『藤岡屋日記』
1848弘化5年、嘉永元年
正月、『色品替拳酒』中村座『藤岡屋日記』
2月二の午、和泉国信田の森から江戸へ「御利生糖」を売りに来る。やっこさんの格好で販売。『藤岡屋日記』
7月、『莫執着の獅子』『藤岡屋日記』
1849嘉永2年
7月、常陸国下総国で洪水多し。武江年表
江戸新宿の正受院の奪衣婆はやる。しかし寺がさまざまに宣伝をして売り上げを伸ばそうとしたため幕府からご沙汰があり止む。武江年表
1850嘉永3年
正月、江戸広尾のあたりで蛙合戦が見られる。武江年表
3月20日、江戸両国で陸奥国百々目木村から総身に鱗が生じた男子見世物にかかる。武江年表
6月、江戸牛込横寺町のC吉の娘(連れ子)まつ(11歳)の挙動は猫そっくりと噂になる。武江年表
7月、江戸両国で丹後国大江村から熊小僧(本当は女児)見世物にかかる。武江年表
1851嘉永4年
5月5日より、江戸にて八丈島為朝明神の出開帳。腹の中から寿老人が出て踊る2丈くらいの大黒天の縫物細工の見世物でる。武江年表
夏、炎熱はなはだし。大井川では河原が熱くなりすぎて数日間川止めになった。武江年表
孝明天皇、和気清麻呂に対して「護王大明神」の神号をさずけて正一位の官位をあたえる。
1852嘉永5年
1月8日、江戸にて光り物が乾から巽の空へ飛ぶ。武江年表
6月、「おまめ大極上」の売り声の女の砂糖豆売りに美女が増えて噂に。武江年表
江戸瓦町の長寿寺にて金銀の歓喜天像が土中から掘り出される。武江年表
夏、江戸神田松枝町の大工・保五郎の飼い猫、仔猫といっしょに鼠におっぱいをあげる。武江年表
江戸浅草で老婆が猫の泥人形を売り始める。夢の中で飼い猫がお告げをしたという。武江年表
1853嘉永6年
3月、江戸伊勢町で上総国で捕れた大烏賊(1丈7尺)が見世物にかかる。武江年表
8月8日、江戸で大雷雨。小石川で雷獣とらえられる。瓦版「雷神場所付」(『かわら版物語』)
3世瀬川如皋『花埜嵯峨猫魔稿』 鍋島家による上演差止
1854嘉永7年・安政元年
6月、江戸麹町の天満宮に灰が降るふしぎ。正体はたぬき(瓦版)、『かわら版物語』
6月7日、江戸麹町の卵商店に礫が3日間も投げ込まれる騒ぎ。狐狸のしわざとの噂。武江年表
7月11日、日本の国を示す船じるしが「白地に日の丸」と定められた。徳川禁令考38
7月28日、江戸浅草の酒屋に観音様の霊使が老僧に化けて現われる。豊年と牡丹餅を喰えとの予言。(瓦版)、『かわら版物語』
7月の末、江戸で来月からはやり病が起こるが牡丹餅を食うとそれにかからないという噂ひろがる。武江年表
8月、江戸神田御成道の儀助稲荷・宝珠稲荷・子安稲荷はやる。武江年表
1855安政2年
10月2日、江戸で大地震。直後から鯰の刷り物など多く出る。鯰絵ばやり。笠亭仙果『なゐの日並』
1856安政3年
2月、江戸の浅草奥山で松本喜三郎の活人形の興行。水滸伝、忠臣蔵、一ッ家、粂仙人など。武江年表
1857安政4年
加賀国白山に熊野権現の使いという白鳥現れ予言をなす。鶏肋集
武蔵国大井村の梶原稲荷はやる。安産や夜泣きにご利益。(瓦版)、『かわら版物語』
6月、江戸久保町の原にろくろ首の覗機関でる。武江年表
この頃、三遊亭円朝、『累ヶ淵後日怪談』を高座にかけだす。(真景累ヶ淵)
1858安政5年
夏、江戸にコレラが大流行。コレラよけのまじないに八ッ手の葉を軒に下げたり、豆まきをしたり、門松をたてるなど混迷を極める。武江年表
江戸本所の篠塚地蔵尊はやる。武江年表
3世豊国・2世広重『西国順礼 観音霊験記』(〜1859年)
1859安政6年
加賀国白山に熊野権現の使いという白鳥現れ予言をなす。鶏肋集
11月、たこが豊漁。武江年表
3世豊国・2世広重『秩父順礼 観音霊験記』(〜1859年)
1860万延元年
4月より8月、富士山に男女のぼる事を許す。富士山参詣の者多し。武江年表
6月30日、江戸竪川に数万の白き蝶現れる。武江年表
11月、出羽国天童から白雉が幕府へ献上さる。武江年表
1861文久元年
4月、江戸豊島町の紫屋という家、白昼に幽霊が出るという噂でもちきり。武江年表
5月22日、江戸の亥の空に稲星でる。武江年表
6月、百姓町人が大船をもつを許さる。武江年表
江戸の浅草奥山でチャウエイという異獣の見世物。武江年表
江戸で犬の病気はやる。俗に犬のコロリと称する。武江年表
1862文久2年
7月15日、江戸で光物が坤の方角にあとを引いて飛ぶのが多く見られる。諸人恐怖せり。武江年表
香蝶楼豊国『豊国揮毫奇術競』 ●術つかいを題材とした錦絵組物、明治になっての芳年(→1869年)や国周(→1873年)の同様作に影響が高い。
江戸の浅草奥山で竹田縫之助「怪談活人形」の興行。武江年表
夏、江戸で麻疹はやる。死者はなはだし。武江年表
江戸で辻斬り大横行。夜に出歩く者はなはだ少なし。武江年表
江戸で麻疹を題材にした錦絵や絵草紙も多く売り出される。
1863文久3年
6月、江戸の小石川や市ヶ谷のあたりで雀合戦みられる。武江年表
6月ころ、中渋谷村の千代田稲荷はやる。武江年表
7月19日、天の川のよこに異星が見られる。武江年表
『江戸花 名勝会』 多数の画家によってさまざまな名所・伝説・名物・芝居などを貼交の形式で描いた錦絵の連作。
江戸両国で駱駝の見世物でる。また象の見世物もつづいてはじまる。武江年表
江戸で辻斬り大横行。武江年表
1864元治元年
8月、江戸の毛利家上屋敷の工事のおり、稲荷の社のまわりで怪異おこる。奥殿を取り壊したら大蝙蝠が出た。武江年表
暁斎『狸の戯』(4月)、『家保千家の戯』(5月)
1865慶応元年
6月末ころ、江戸の駒込あたりで毎日数万羽の雀合戦が目撃される。武江年表
芳年『和漢百物語』
1866慶応2年
江戸で幕府に無届の富くじが横行、また強盗も頻発。武江年表
牛肉の料理を出す店、江戸にもでき始める。また弁当屋も増え始める。武江年表
1867慶応3年
正月、疱瘡で愛児を失った女が鬼女(鬼娘)となり子供を喰って歩いてるという噂が江戸ではやる。事実無根のためすぐ止む。武江年表
江戸でうわさを受けた鬼娘(鬼女)の錦絵いくつか出る。
夏、武家のあいだで西洋の蝙蝠傘はやりはじめる。武江年表
9月ころより、江戸の立花家下屋敷にある太郎稲荷はやる。武江年表
冬、夜中江戸の家々に神仏のおふだが撒かれるふしぎ。人心惑わすとて幕府よりご沙汰ある。いつの間にか止む。武江年表

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