神代 Ancient era
大和代 Yamato era
平安代 Heian era
鎌倉代 Kamakura era
足利代 Asikaga era
徳川代 Tokugawa era
近代 Modern era
現代 Contenporary
1868 | 慶応4年・明治元年 |
3月13日、太政官より神仏分離令発せらる。▼神道六十年史要 (仏教との分離を図ると共に神道諸派の統一管理が進められてゆく) | |
3月17日また4月4日、神祇事務局より別当・社僧と称して神社に務めている従事者は僧形・僧官位を返上し還俗、神官の体となるよう達文。▼神道六十年史要 | |
4月10日、太政官より神社で仏像をまつったり本地仏として設置すること、また鰐口・梵鐘・仏具などが配備されてることを即刻取り払うべき布告が発せらる。▼神道六十年史要 | |
4月ごろ、各地で太政官代から「中古以来某権現或は牛頭天王之類其分仏説を以て神号と相称し候神社不少何れも其社の由緒委細に書付早々可申出候」あるいは「仏像を以て神体と紛し候神社とも己来相改可申事」との布達が寺社や山伏などに申し渡されていった。▼伊沢村史 | |
1869 | 明治2年 |
稲が実らず各地で飢饉。▼『高田郡誌』 | |
▼芳年『豪傑奇術競』 ●3枚続きの錦絵。2種類確認されている。 | |
1870 | 明治3年 |
正月3日、「神祇鎮祭の詔」と「大教宣布の詔」くだされる。▼神道六十年史要 | |
神道家のあいだで「黄泉国所在問題」おきる。渡辺重石丸などが譴責された。▼維新政治宗教史研究 12章 | |
神仏取別励行が進められていった。寺院制法には「邪宗門並に怪異之法堅く禁之」や「専ら未来之禍福を唱へて諸人を疑惑し現世之勤を妨る類堅く禁止之事」ともある。▼伊沢村史 | |
▼矢野玄道『予美国考証』 | |
1871 | 明治4年 |
神仏分離に基づき「宗門改め」ならぬ「氏子改め」がおこなわれる。▼維新政治宗教史研究 12章 | |
1872 | 明治5年 |
3月、神祇省が廃せられ教部省となる。▼神道六十年史要 | |
4月11日、鹿児島県垂水で異魚あがる。物言う有様なるが忽ち死す。▼東京日日新聞 | |
11月9日、改暦の詔書くだる。改暦にともなって五節句の廃止も盛り込まれた。12月3日に改暦。▼ | |
この頃から各地の神社でお宮参りのときに氏子守札などを出すようになる。▼神道六十年史要 | |
▼魯文『蛸入道魚説法』 | |
1873 | 明治6年 |
神道事務局が設置され「神道」が確立した。▼神道六十年史要 | |
▼国周『豪傑奇術競』 ●大首絵の錦絵組物。術つかいを題材にしており俳優似顔となっている。 | |
▼千家尊福、出雲大社敬神講を創設する。 | |
冬、天然痘、流行する。▼『高田郡誌』 | |
1874 | 明治7年 |
3月10日、東京本郷で髪切。▼東京日日新聞 | |
▼暁斎『暁斎楽画』 | |
中教院が設置される。▼ | |
江戸の神楽師37家、中教院からの達しにより里神楽の内容次第を整理。▼本田安次『神楽』 | |
1876 | 明治9年 |
7月7日、福岡県新入村の池から大蛇が天に昇る。▼東京日日新聞 | |
10月2日、東京の紙幣寮に狐がまよいこむ。▼東京曙新聞 | |
12月12日、阿波国上山村で数十万羽もの雀合戦。▼東京日日新聞 | |
この年、おおいに諸国が日照り。▼朝野新聞 | |
1877 | 明治10年 |
3月、東京板橋の縁切榎が枯れる。旧弊さんは力を落とした。▼読売新聞 | |
8月、東京浅草の島米(芝居の小道具づくり)からロンドンへ雷さまのあやつり人形10000個輸出された。▼横浜毎日新聞 | |
8月、黒沢村に仮設された病院で島虫(恙虫)がはじめてどんな形の虫なのかが観察される。▼新潟新聞 | |
11月、大阪の榎木神社はやる。「縁の木」とて人気。▼郵便報知新聞 | |
12月、東京金杉の蓬莱座(芝居小屋)の奈落に狐がすみつき、座主が「金杉稲荷のおつかいだ」とうかれる。▼朝野新聞 | |
この年、コレラはやる。▼東京日日新聞 | |
教部省が廃止される。大教院によるおしえが終息した。▼維新政治宗教史研究 12章 | |
1879 | 明治12年 |
6月、東京金杉の原っぱにうわばみが棲みつく。▼東京日日新聞 | |
7月、コレラ避けのためと言って「釣船清兵衛」と書いた札を門口に貼る者 も。▼東京曙新聞 | |
11月、東京の三井呉服店(三越)の店員たち、これまでのちょんまげを廃止。▼郵便報知新聞 | |
12月、大阪堂島の相場師たちの間で狐を飼うがはやる。商売の加護だそうな。▼朝野新聞 | |
この年、コレラはやる。尾張や伊勢ではコレラよけとして百万遍や踊りがはやる。(尾張では天然痘も)▼東京日日新聞、朝野新聞、『高田郡誌』 | |
富山県宮崎村、コレラ蔓延を受けてコレラ神を送り出す祭りを行うがその祭りでさらに蔓延し一晩で数十名が死ぬ。▼『宮崎村の歴史と生活』 | |
この年、兎はやる。牝でさえあればどんな兎にても其価30円を下らずとの狂乱騰貴。▼東京日日新聞、朝野新聞 | |
1880 | 明治13年 |
9月、逢坂山の隧道には「女の化物がでる」や「賊が出る」などと人力車屋がうそを言い触らして客を取ってた。▼朝野新聞 | |
▼河竹黙阿弥『有松染相撲浴衣』 | |
▼竹柴金作『嵯峨奥妖猫奇談』 | |
この頃、桃川如燕の『百猫伝』が人気。▼ | |
この年、西日本を中心に蘭はやる。10倍や50倍にまで値が狂乱騰貴。▼読売新聞、東京曙新聞 | |
1881 | 明治14年 |
2月3日、神道大会議ひらかれる。主祭神は4神(天之御中主・高御産巣日・神産巣日・天照大御神)か5神(大国主を足す)かで大論争が起こっていたことに対する解決のために開かれた。▼神道六十年史要 | |
10月あたりから、11月15日に世界が崩壊するという外国渡りの噂ひろまり、それを当て込んだ一枚刷など多く出て世を騒がす。▼『新旧時代』1-6「世界転覆奇談」 | |
11月9日、東京南伝馬町の井戸から桃色のどじょうが出る。▼いろは新聞 | |
1882 | 明治15年 |
正月24日、内務省、神官たちの教導職兼務、ならびに葬儀執行を廃する。政府はこれによって政教分離を示そうとした。葬儀からの分離は神仏分離以後にひろまっていた神葬をなくし宗教色の排除がすすめようという考えだったが、実際はそのまま行われつづけた地方もあった。▼神道六十年史要 | |
8月、東京などでコレラ流行。あやしげなる病除けの刷物売り頻出す。警視総監より差止。▼読売新聞、明治奇聞 | |
10月18日、内務省がまもりふだや神仏号を記載した画像の出版販売はその神社寺院のものに限ると布達。▼内務省達 乙55号 | |
肥前国の岩太郎山に鬼女が出るとの噂。▼郵便報知新聞 | |
1883 | 明治16年 |
4月、越後国法華堂村の農家に 人面犬 生まれる。顔面に毛無し。▼東京絵入新聞 | |
6月29日、栃木県仁良川村の医者の家の鶏、瓢型のたまごを産む。▼いろは新聞 | |
1885 | 明治18年 |
1月、出雲大社に参詣人多数。徴兵避けの願掛けが増えた。▼朝野新聞 | |
4月25日、東京の芝神明の神馬が死ぬ。70歳の長命だった。5月に荏原郡大井村西光寺へ葬る。▼今日新聞 | |
7月1日、伊吹山が鳴動。山頂から水が噴き出す。▼東京日日新聞 | |
7月、各地で豪雨、洪水頻々。「水災ノ一般ニ普及スルニ遇フ吾曹ソノ決シテ平常ノ年ト云フ可カラザルヲ恐ルルナリ」▼東京日日新聞 | |
8月、名古屋から京阪へ向けての運送に牛車が使われるのが廃止され馬車にかわる。▼朝野新聞 | |
浅草に模造の富士山がつくられ、興行される。▼『浅草女裏譚』によると数千円の利益を得るほどのバカあたりだったが、すぐに飽きられ、取り払われた。 | |
この年、各地で飢饉。▼東京日日新聞 | |
赤痢や麻疹、流行する。▼『高田郡誌』 | |
この年、アメリカ合衆国のアリゾナ州で「ドクターペッパー」が作られ始めた。▼東京日日新聞 | |
1886 | 明治19年 |
5月、このころフランスなどで『和漢三才図会』がはやってたという。▼毎日新聞 | |
▼周延『東錦昼夜競』 | |
7月、京都で「こっくり」はやる。狐狗狸伝授所という看板をあげる者も出る始末。秋には東京にも。▼朝日新聞、時事新聞 | |
この年、東日本を中心にコレラはやる。▼東京日日新聞 | |
コレラ、流行する。▼『高田郡誌』 | |
1887 | 明治20年 |
9月から10月、兵庫県和田岬の沖に「ねんむしゃ虫」が大発生。漁師困る。(藍色にて栗のいがの如く円型)▼郵便報知新聞 | |
11月6日、東京浅草公園に人造富士山が完成。一般客のほか、近郊の富士講のひとびとも押し寄せて大変な騒ぎ。▼郵便報知新聞。東京日日新聞 | |
稲や麦が豊作になる。▼『高田郡誌』 | |
1889 | 明治22年 |
▼河鍋暁斎『暁斎百鬼画談』 | |
▼芳年『新形三十六怪撰』(〜1892年) | |
1890 | 明治23年 |
10月、東京の四国町のある家で、夜な夜な家中の道具が飛び動く珍事。▼東京朝日新聞 | |
1891 | 明治24年 |
2月、大分県大分郡の法心寺裏淵で怪獣の死体引き上げらる。▼福井新聞 | |
10月28日、濃尾地震。▼ | |
▼渋江保『西洋妖怪奇談』 | |
1893 | 明治26年 |
この年、赤痢はやる。▼時事新聞 | |
▼井上圓了『妖怪学講義』 | |
1894 | 明治27年 |
5月、香港で黒死病はやる。6月、長崎にも伝染。▼時事新聞 | |
この年、赤痢はやる。(1895年まで続発)▼時事新聞 | |
▼日清戦争の錦絵はやる。 | |
東洋舎の大和煮缶詰(牛肉・鶏肉)の人気ばくはつ。▼国民新聞 | |
1895 | 明治28年 |
8月ころ、東京新橋のあたりで女の着物にインキや墨をふりかけてダメにしてしまう曲者がしばしばいたずらに及ぶ。▼東京朝日新聞 | |
10月、東京神田の錦輝館でアメリカ渡りの力持ち・アボットの見世物。磁石娘と呼ばれた百人力。▼時事新聞 | |
花柳界のお座敷で義太夫節はやる。デデン。ただし年末ころには下火になり謡曲が人気者に。▼都新聞、報知新聞 | |
1896 | 明治29年 |
▼小泉八雲、東京帝国大学の英文学講師になる。 | |
6月15日、三陸沖地震。▼ | |
1897 | 明治30年 |
3月1日、東京隅田川の砂尾堤の下り松が大雪で折れる。▼報知新聞 | |
3月5日、岡山県津高郡下建部村で16歳のとき行方不明になって死んでしまったと思われてたお清が、このとし90年ぶりに家に戻る。今浦島のばあさん。▼東京朝日新聞 | |
6月28日、台湾のモリソン山を明治天皇が新高山と御命名。▼拓殖務省告示6号 | |
7月ころ、東京小石川牛天神の貧乏神がはやる。それまで近くに露天を出す事も嫌われてたのに、急に貧乏神の縁日がたつほどの人気。▼読売新聞 | |
8日、各地で赤痢はやる。▼東京日日新聞 | |
▼井上圓了『妖怪研究の結果』 | |
10月1日、金本位制になる。▼ | |
このころ、オーストリアのファルブ教授が出した「1899年11月13日に地球に彗星が激突してその時の有毒ガスで人類が滅ぶ」という噂がはやる。▼時事新聞 | |
1898 | 明治31年 |
横浜のアメリカ人に文身(ほりもの)を好まれた彫師・岩田五郎招かれて渡米する。本人も頼光と鬼、竜、雷公の文身をしてる御仁。▼東京朝日新聞 | |
1899 | 明治32年 |
森永太一郎、森永西洋菓子製造所を設立。東京赤坂。▼ | |
1900 | 明治33年 |
6月5日、内務省が清涼飲料水営業取締規則をお達し。▼内務省令30号 | |
1901 | 明治34年 |
2月、大阪や東京などで「台湾坊主」と俗に言われる禿頭病がはやる。病気でつるつる坊主になったのではない人も「禿頭病だ」と騒がれるほどの始末。▼報知新聞 | |
3月30日、麦酒税法、砂糖消費税法がしかれる。▼法律第22号 | |
5月14日、東京築地の料理店「新喜楽」の座敷に隕石。障子と襖を突き破って突入。▼時事新聞 | |
5月、東京で水道の共用栓や専用栓から蛭がうようよ流出する騒ぎがつづく。▼東京日日新聞 | |
8月、各地で赤痢はやる。▼時事新聞 | |
横浜遊郭に愚連隊と称する不良集団があらわれる。▼時事新聞 | |
このころ、アメリカのサンフランシスコなどで日本の文身(ほりもの)がはやる。堀田吉助という彫師が同地で活躍。竜、蛙、蛇などいろいろ。▼国民新聞 | |
1902 | 明治35年 |
7月ごろ、千葉県茂原で黄色くて小さい毒蝶が大発生する。触れると激しいかゆみを発し掻けば水疱になり化膿したという。▼都新聞 | |
源氏節が大いにはやる。▼報知新聞 | |
1903 | 明治36年 |
1月25日、衆議院議員・長谷場純孝がサガレン島で捕獲して来た白狐が東京浅草公園の珍世界に寄贈され、この日から展覧される。▼都新聞 | |
このころ、東京市内にあやしい「催眠術教授所」や「催眠術伝習所」などが多く見られる。▼日本 | |
1904 | 明治37年 |
1月、軍用ビスケットの人気ばくはつ。▼日本 | |
2月8日、高千穂山の中腹から赤い光の火が何万も見られる。▼報知新聞 | |
7月1日、たばこが専売制になる。▼ | |
7月、兵庫県出石郡桜尾の国有林で鶴が巣篭もりをする。瑞兆であるとして朝廷に写真を献ず。▼東京朝日新聞 | |
8月8日、有害な色素を含有してると疑われる紫色の鉛筆がすべて文部省の布達で幼稚園・小学校では禁止、それ以外の学校では必要欠くべからざる時のみ使用を許すと申し渡す騒ぎ。▼報知新聞 | |
▼日露戦争の錦絵はやる。 | |
ウヰルキンソン・タンサン・ミネラルウォーター・カンパニー、会社組織として設立される。▼ | |
1905 | 明治38年 |
東京四谷左門町の旧地に建造されたお岩稲荷が四谷や赤坂の芸者たちに流行る。(1月に橘座で坂東鶴之助の一座が四谷実録をやった影響)同地から移転していた田宮神社から抗議。▼東京朝日新聞 | |
5月、東京回向院のおすもうの興行が雨天中止の場合、それを知らせるために打たれてた触太皷が廃止される。▼東京朝日新聞 | |
6月1日、塩が専売制になる。▼ | |
6月、源氏節の興行が禁止される。▼東京朝日新聞 | |
11月23日、第32回衛生学会で緒方正規、石原喜久太郎が越後の恙虫病、秋田の毛虱病の病原について発表する。▼東京朝日新聞 | |
この年、服飾品などに元禄模様が流行る。▼ | |
この年、宮城、福島、岩手などで大凶作。▼ | |
1909 | 明治42年 |
大日本麦酒、炭酸飲料「シトロン」を発売。▼ | |
1910 | 明治43年 |
6月、▼吉沢商店『牡丹灯篭』 | |
6月、▼吉沢商店『玉藻前 三段目』 | |
7月、▼吉沢商店『新牡丹灯篭』 | |
7月27日、寺社の御手洗や料理店宿屋の手洗鉢の近くに設置されるぶらさげ手ぬぐいは不潔の温床となるとて警視庁が取り締まりをはじめる。▼東京朝日新聞 | |
▼8月 喜劇『地獄の新開』 横浜・賑座 | |
9月5日、うつしゑ都船が歿。都楽の門弟で江戸の写し絵の名人。▼ | |
9月、▼吉沢商店『いたずら狐』 | |
9月、▼M・パテー『土蜘蛛』 | |
藤井林右衛門、不二家を創業。12月にはクリスマスケーキを売りはじめている。▼ | |
1911 | 明治44年 |
2月、▼吉沢商店『雪女』 | |
2月、▼吉沢商店『化の皮』 | |
4月9日、東京の吉原遊郭で回禄。廓が全焼す。袖摺、合力、太郎稲荷などが焼け残る。▼都新聞 | |
6月、▼M・パテー『新皿屋敷』 | |
12月、▼吉沢商店『西遊記』 | |
12月、▼吉沢商店『幽霊揃ひ』 | |
ビリケンが輸入される。以後、ビリケン大明神などともてはやされる。▼ | |
▼ 小泉八雲(訳/本多孝一)『妖怪奇談集』 | |
1912 | 明治45年、大正元年 |
1月以後、三業地が不況になり「ビリケンなんて異国の神をもてはやしたからだ」とそれまでもてはやしてた連中が反動。「ビリケンのビリはビリっけつのビリ」などと言われ、廃棄したり、嫌いな客を帰すときのおまじないに使ったりしだす始末。▼都新聞 | |
1月、▼福宝堂『天女と悪魔』 | |
2月、▼吉沢商店『幽霊の婚約』 | |
5月、▼横田商会『播州皿屋敷』 | |
8月、▼福宝堂『新皿屋敷』 | |
11月、▼日活『四つ谷怪談』 | |
12月、▼日活『白髪鬼』 | |
12月、▼日活『岡崎猫』 | |
▼木村鷹太郎『世界的研究に基づける日本太古史』 | |
1913 | 大正2年 |
5月、▼日活『四谷怪談』 | |
6月、▼日活『幡州皿屋敷』 | |
1914 | 大正3年 |
1月11日、▼小林商会『有馬怪猫伝』 | |
1月15日、▼日活『源頼光妖怪退治』(『土蜘蛛』)●(尾上松之助など)牧野省三による監督作品。以後も多い。 | |
5月、▼日活『吉原怪談手振り坊主』●(尾上松之助など) | |
5月、▼日活『しらぬひ物語』●(尾上松之助など) | |
6月、▼天活『紅葉狩』●(中村吉三郎など) | |
6月、▼日活『八百八狐』●(尾上松之助など) | |
6月、▼日活『本所七不思議』●(尾上松之助など) | |
6月、▼日活『松山狸騒動』● | |
6月、▼日活『船幽霊』 | |
6月、▼天活『忍夜恋曲者』 | |
6月、▼日活『怪猫義民伝』 | |
7月、▼日活『牡丹灯篭』●(尾上松之助など) | |
7月、▼天活『日本怪猫伝』 | |
7月、▼日活『九尾の狐』 | |
9月、▼日活『葛の葉』●(澤村源之助など) | |
10月、▼日活『室町御殿百怪伝』●(尾上松之助など) | |
10月、▼天活『狸退治』 | |
11月、▼天活『児雷也』 | |
11月、▼日活『平家の妖魔』(平家蟹)●(尾上松之助など) | |
11月、▼日活『鎌倉殿中猫騒動』●(尾上松之助など) | |
12月、▼日活『怪談浅間ヶ嶽』 | |
1915 | 大正4年 |
このころ(〜大正5年)阿波国三好郡三縄村で狸の素麺喰が発生。該当するらしい狸は撲殺されて皮革に。▼笠井新也『阿波の狸の話』 | |
1月、▼天活『七化け地蔵』 | |
1月、▼日活『怪談七変化』 | |
2月、▼日活『文福茶釜』(監督・吉山旭光) | |
2月、▼天活『信太狐』 | |
3月、▼天活『里見八犬伝』 | |
3月、▼日活『戸隠山の鬼女』 | |
3月、▼天活『本所七不思議』 | |
4月5日、▼日活『怪鼠伝』 | |
4月、▼天活『岩見重太郎』 | |
5月、▼日活『坂田金時』 | |
5月、▼天活『狸御殿』 | |
6月、▼天活『赤壁大明神』 | |
8月、▼日活『小夜の中山夜泣石』 | |
8月、▼天活『御嶽八郎蟇退治』 | |
10月、▼天活『四谷怪談』 | |
1916 | 大正5年 |
▼▼秋月玉光『産湯の森変化退治』 ●『大佐用』…「産湯稲荷の狐講釈」 | |
1月、▼日活『善悪大王』 | |
2月、▼天活『佐賀の化猫』 | |
3月、▼小松商会『九尾の狐』●(最古の部類だが登場人物情報などは不詳) | |
5月、▼天活『お菊虫』 | |
8月、▼日活『怪傑鬼童丸』 | |
10月、▼天活『千住怪談狸長屋』 | |
▼天活『吉原怪談手振り坊主』●(澤村四郎五郎など) | |
1917 | 大正6年 |
▼泉鏡花『天守物語』 | |
9月30日、台風による大規模な高潮。各地で甚大な被害。東京の下町が水没。横浜港では船が転覆。千葉県の行徳では塩田が壊滅する。▼ | |
1918 | 大正7年 |
2月25日、樺太の魚屋で鱈の刺身をつくろうとしたところ雌雄両性(腹中に精巣と卵巣があった)の鱈が1匹あった。▼樺太新聞、『スコブル』18号 | |
7月14日、▼日活『九尾の狐』●(尾上松之助など) | |
1919 | 大正8年 |
丸十パン、陸軍の嘱託となる。糧食用の良いパンとしてコッペパンを開発納入。コッペパンの元祖。▼ | |
1920 | 大正9年 |
▼友清歓真、神道天行居を創設する。 | |
1921 | 大正10年 |
▼アレキサンダー・ワノフスキー(アレクサンドル・ワノフスキー)、早稲田大学の露文学講師になる。 | |
1922 | 大正11年 |
11月10日、▼松竹キネマ『九尾の狐』●(澤村四郎五郎など) | |
1923 | 大正12年 |
2月1日、▼国活(『幽魂の焚く炎』●若山北冥「影を見せなくなる怪談物」(大正14年8月)には「封切り当時この怪談物の新機軸をば好評したものであった」とそれ以前の映画(玩具箱みたいなものと表現してる)と対比して枝正義郎(本作の監督)を褒めている。 | |
5月1日、▼帝国キネマ演芸『九尾の狐』●(嵐璃徳など) | |
8月5日、▼帝国キネマ演芸『玉藻前』●(嵐璃徳など) | |
▼▼江馬務『日本妖怪変化史』 | |
9月1日、関東地震。▼ |